きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

六甲守山95キロ

2017-10-05 13:05:00 | 別に除けておきたいこと
まだ入院中で、今後のこと何も見通しが立っていないのですが、今日は特別な日なので(かなり前に綴ったものです)。

2号はその昔ネットオークションでキャンセルが出てウチに来ることになった。そのペットショップは六甲アイランドにあって、彼はそこから飛行機に乗って松山にやってきた。
で、生まれは奈良だと聞いていたように思っていのだが、彼が亡くなってからしばらくして血統書見たら「MORIYAMA」って書いてあった。奈良にそんなとこあったかと調べたら、やっぱり奈良ではなくて滋賀のらしい。もともと六甲から奈良まで行ってみようかと準備をしていたのだが、滋賀まで行くとなると約100キロ。どう最短をとっても100キロで奈良の倍。
ふーん100キロ、と人ごとのように思いながら頭の中で計算を始める。六甲から奈良を走ろうと決めていたのに、六甲から守山になった途端止めるというのも収まりが悪い。とんでもない距離だが行くしかない。でもどういう形で現地に行って、どれぐらいに出発して時間がどれぐらい掛かって、走った後戻るまでにどれぐらい時間が必要で、とそういう計算を何パターンかやって。

で決行。時は10月半ばの頃。儂の誕生日過ぎたぐらいだったか。

数時間後に走るのに、麦なしで長い時間待つのは苦痛でしかないので、空港での晩御飯は一口呑む。

関空からは私鉄を乗り継ぎ、六甲へ。

乗換駅で栄養補給。流石に麦は止める。これから100キロ。

日付が変わった辺りでスタート。地図はあらかじめ見たが、車だけしか通れなかったり、道がクロスしてなかったりして、島を出るのに一苦労。とりあえず、橋へ。

橋を降りて、またそこから神戸の国道に行くまでに、うろうろと走り回る。夜なので勝手が分からん。漸く向こう岸に渡る階段を見つける。これは地図では確認できん。国道に入るまでの不安と、それほど時間的な余裕はないのとでペースは早め。

地図に出ていた道に入り、阪神高速の傍をしばらく走る。人が少ない。当たり前か。

突然階段が出てきたりはするが、とりあえず、場所が分かる表示があると安心する。

戎の文字を確認し177号に入る。漸く安心する。

結構な幹線道路だが、交通量はそれほどでもない。まあ真夜中だからな。

基本的には国道を行けば大丈夫なのだが、時々、高架になって脇道を走ることもある。で、深夜にもかかわらず駅の周りでは若いのがうろうろしていたり、店にはおっさんおばさんが賑やかにやっていたりするのを見る。

ドンキが見えた辺りのコンビニで初回の補給。先が長いので少しずつ摂取できるタイプのレッドブルを。安くはない。

兵庫県から大阪府へ。



ファミマで今度は甘いモノを。その後それとは別にもう一度40キロ付近のセブンに入った記憶はある。トイレを借りた気がするが何か補給した記憶はない。

阪急京都線の文字を確認した辺りで空がだんだん白くなる。最初のヤマ場を越えた気がする。

県境を越える手前のファミマで水分補給。その直後京都府へ。

道が広くて高架の傍を走ったこの辺り、測道がないところも多かった。ずっと見守るように付いてきてくれていた月を見上げる。2号かと思う。

13年近く、君と一緒に過ごしたことになる。ビッダーズのオークションで、どうみても買い手が付かない売れ残りで、ウチに来たのは生まれて半年過ぎていた。しかも、最高落札した人がキャンセルして、ウチに来ることになった。何かの縁なのだろう。後にも先にも、ウチの犬で飛行機に乗ったのは君だけ。
3歳年上の1号とは、本当に仲が良かった。犬同士が仲がいいのは当たり前のことではなかったのだと後になって理解した。凄いことなんだと。
一度、家から居なくなって、慌てて探していたら、散歩コースの川の向こうを優雅に散歩していた君が、こちらを見て慌てたように歩みを早めて橋を回って戻ってきたこともあった。あれは未だに謎。
チワワという愛玩犬でありながら、実は山が大好きで、夏の風穴に行ったときのあの走りは逞しかったな。奥ゆかしい君だったけど、御飯のアピールは凄くはっきりしていた。いつもごろごろと、寝てばかりで、でも御飯のときは、すごく存在感があって。
2年前の生存率五分五分の大病では「川」を渡っていた君を連れ戻した。一方で、病気の重さ、後遺症の具合を考えると良かったのか悪かったのか、と逡巡した。でも歩けないもう寝たきりと覚悟していたのに、2ヶ月ぐらいたってからまた立ち上がり、歩けるようになった。
それから2年は、もっと大事に大事に時間を過ごしたように思う。散歩の回数こそ減ったけど。
そして、今年の5月、再び調子を悪くし、夏も今ひとつの体調で。でも4号の方が調子が悪かったので、気にならなかった、ということは今想えばある。
逝く前日から調子が悪くなっていたようですね。でも庭に降り、ご飯も食べて。そして、次の日。
連絡を受けて帰宅後、君の顔を見ました。朝はいつも通り見送ってくれたなと思いつつ。
これまでの生きるか死ぬかの闘いの時のしんどそうな表情ではなく、どちらかといえば穏やかな感じがした。
前日は僕が泊まり勤務だったし、大学生の二人も、どちらも帰れなかったと。次の日、なら大丈夫だというのは、どうして分かったのだろうか。
君を葬儀場に連れて行く時、台風でフェリーが出ず、最終のバスで帰るというムスコとムスメを家から車で1時間かかるしまなみ海道の玄関口の駅に迎えに行ったら、示し合わせたように、お互いに1分の待ち時間もなく、ターミナルで会うことができた。何かの力を感じた。
そういえば、しまなみ海道に行ったときに取材に逢い、君を含めた家族4人が地元紙のトップページに載ったね(この時1号は足下にいたから写ってないんですが)。
家でお別れができなかったのはちょっと残念だったけど、葬儀場までの1時間、後部座席の二人の膝に代わる代わる乗って過ごしてもらうことができた。花粉症かいな、というぐらいティッシュが何枚もなくなっているようだった。
葬儀場に着き、そして待つこと1時間。深夜1時、山奥にある火葬場で君の骨を拾いました。
星がきれいに瞬いていました。
そして、次の日は何日かぶりの抜けるような青空でした。
2年前と違って、5月に調子を崩したときから覚悟はしていた。
決して長生きではなかったのかもしれない。でも、みんなで、しっかりと君を見送ることができた。
朝起きると、いつも君が居たところに君が居ないというのは妙な感じで。君のことを、まだまだ繰り返し思い出しながら過ごす日々が続きそうです。ありがとう。

いつか綴ったキミへの手紙を反芻する。

京都市へ。ほう、京都競馬場。で、ここを過ぎて市内の南をこのままずっと走れればそれほど面倒ではなかったがこれが歩行者通行禁止で。

少し脇道に入り、エスケイプルートを探す。

でここは失敗して、来た道を戻る。何十分かのロス。


それでも、古い京都らしい街に出会うことができて、それはそれでお得感あり。この日は平日で通勤通学の人が行き交う。
一番距離が短いはずの商店街を抜ける。

で、この神社の傍を通り。

で、この神社の傍を通り。

漸くさっきの道へ。方向も現在も分からず、スマホの地図で確認して漸く無事と判断する。

エナジー系珍しいのをいくつか見たが、結局タイミングが合わず、以前呑んだヤツを。安いが何故かカフェインを気にしつつ。

でそれほど時間が経っていないのに、今度は甘いのを。安かった。

外環状を走っていたつもりだったが、微妙に一本道を間違えていたらしい。最短距離になる県道のショートカットルートをとることができなかったが、何とか国道1号線へ。

1号線に入ってから普通に測道を走りたいのだが、これが何ともわかりにくい。再度自販機で補給。こういうときも糖分を気にする。時間的な余裕は相変わらずない。

すれ違う徒歩の人に、どの辺りでこのまま県境を越えられるのかを尋ねようとするが、無視される。それでも駅の場所とかで確認し何とかなるだろうと進む。ここに来ての時間のロスは避けたい。ルートが分かれば何とか進むことはできる。上り坂をゆっくりゆっくり進む。

大津市に入る。文字通り峠を越える。

琵琶湖。結構感動。

ここからが最後の勝負。かなりペースが落ちている。コンビニで補給。いつもの。

気温は24度。でも暑い。

守山着。キミのふるさと。

JRの駅へ。六甲守山間完走。で補給。駅前の西友で珍しいのがあった。しみじみと。

この毛は5号のかもしれないが、2号のかもしれない。手に取りそっと離す。

30分ぐらいの滞在。ホームに行く。呑んだだけやな。

約13時間と30分で95キロ。

大会でもないのにこんな距離もう走らんと思う。
とりあえず、95キロ走れた寝てなかったけど。走ったではなく走れた。追悼ランか。とりあえずキミを想いながら走った。

想いは力になるのだと思う。
走れたのはキミの力だと思う。
ありがとう。


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