きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

日米親善錦帯マラソン IN MCAS岩国

2015-04-23 20:00:00 | 大会回顧録
この時期(正確には1~2週前になると思うが)。
こういう大会をネットで見つけて出たことがある。
この大会、何年前かもう忘れたが出たことがある。

記録を紐解いてみると、2006年の4月に参戦。大学院に行ってた時か。4回目のフル。この時は前年12月の3回目のフル(加古川)でサブフォー達成し、調子に乗って参戦したにもかかわらず、4時間11分で撃沈という大会。
言い訳をすれば、翌々月の6月に初の100キロであるしまなみ遠足(とおあし)に参加するために、練習兼ねて参加した大会。何の練習やと言われそうだが、当時はまとまった距離を練習で走るという発想がなかったから、フル走らないと、ということだと思う。

記憶を紐解いてみると、この日は朝3時か4時かの松山発の防予汽船のフェリー(柳井行き)に乗るために結構な早起きをして港に向かい(単車に乗っていたから恐らくそれかと思う当時は帰りのフェリーで呑むとかそういう発想はなかったので)、柳井に着いた後、JRで基地へ。大会参加後は元来たルートで。
入口でカメラチェックがあり、撮影不可のため写真は残っていない。
写真がないだけで記憶が曖昧というのも情けないが、想起させる材料がないということは忘れる運命にあるのだろう。これは断捨離の過程でも思った。

よって以下、断片的に綴る。
 基地内に設けた約10キロの周回コースを2周でハーフ、4周でフルという設定。制限時間は5時間ぐらいだったか。珍しいから4回回っても飽きなかった。基地はアメリカの小さな田舎の街の如し、だった。
 所々に、飛行機が「普通に」止まっていた。
 アメリカ人の兵隊さんも参加していた。彼らは横ではなく前後に太い。人種の差か。
 エイドのスポドリは、無色ではなく、濃いピンク、そして青とか緑、紺色みたいな色もあった気がするが、結構な蛍光色だった。気にしないで飲んだが抵抗がある人もいるのではと思った。
 基地の食堂は階級で分かれている。曹長食堂とか士長食堂とかそういう名前だったような。日本語の看板が掲げてあった。中身はどうなんだろう。違うんかな。
 地味なPRしかしていない反面(否、それ故にか)、家族やグループでの参加が多くて、走らない人はそれぞれテント張ってのんびりしていた。犬を連れてきている人もいた。
 ゴール後、弁当の形で昼食が出る。あっさりしたパスタとパンの炭水化物コンビだった気がするが(量が足りなかったのか味が足りなかったのか、その後JRの駅で蕎麦を食ったのは覚えている)。

こうして綴ると、本当に走る関係の記憶がない。そういうもんかなやはり。
帰りに至ってはもう蕎麦以外の記憶がないな。
ただ、子供たちには結構色々な土産話をした気がする。

岩国基地の中を走る珍しい大会。記録は兎も角、面白かった。

一枚だけこっそり撮った弁当の写真、あれどこにいったかなあ。

それから、この大会、今年はあったのかなあ。


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