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サウンドシティ~リアル・トゥ・リール 1 スタジオ草創期~新生フリートウッド・マック編


デイヴ・グロール監督作品映画『サウンドシティ』の感想は少し前のエントリで書きましたが、今回は映画でクローズアップされていた音楽について。(サウンドトラックについてではありません)
ずっと書きかけのままほったらかしでしたが、これ以上ほっとくと忘れそうなのでアップ。

ネタバレしてますので、映画をこれからまっさらな気持ちで見たい人はご用心。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sound_City_Studios サウンドシティ・スタジオ wiki、全てではないですが、このスタジオでレコーディングされた主だったアルバムが載っています。


サウンドシティのオーナーはトム・スキーターとジョー・ゴットフリートでした。
実業家で投資売買をしていたトムと、陸軍の慰問歌手で、その後音楽スタジオを経営していたジョー。のちに名プロデューサーとなるキース・オルセンはジョーがトムと別の人と経営していた録音スタジオのエンジニアでした。
キースによると経営はアップアップでしたが、スタジオがつぶれなかったのはトムがスタジオの入っていたビルの所有者だったからです。
トムはビートルズやプレスリーのブームの時代、音楽ビジネスが伸びていくと踏んで、音楽会社を買収し、ジョーと一緒にサウンドシティを設立しました。
最初はとにかく経営が大変で、テリー・サバラスでもヴィンセント・プライスでも、なんでもかんでも録音したとか。



①ニール・ヤング
スタジオ草創期の名盤としてまず触れられているのがニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』です。


アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン


After the Gold Rush
クリエーター情報なし
Reprise / Wea


名プロデューサーのキース・オルセンやニール・ヤング本人が語る、スタジオに乗り付ける際、車が目立つからか、パトカーにすぐ止められたエピソードは、いかにも「らしいな」って感じです。

このアルバムはニール・ヤングがまだクロスビー、スティルズ、ナッシュ&ヤングとして活動しているときに出されたニールの3枚目のソロアルバムでした。
わたしはニール・ヤングのソロですと2枚目とこの3枚目が好きです。
特にこの3枚目はピアノの弾き語りの曲もギターの曲も名曲揃い。フォークの大傑作だと思います。

ニールによると、『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』は大半を自宅で録音していたそうですが、ブリッグスと『バーズ』をサウンドシティで録音した時、ヴォーカルの音が気に入って、残りの曲はすべてサウンドシティで歌ったそうです。『自宅録音とサウンドシティのハイブリッドで両者の特徴が出ている』と語っています。

で。ここで映画で流れる曲が、、、あのピアノの美しい「バーズ」でもなく、「サザン・マン」でもなく、、「アイ・キャン・リアリー・ラヴ」

When You Dance I Can Really Love - Neil Young




②二―ヴ・コンソールシステムの導入~バッキンガム・ニックス~新生フリートウッド・マック
ひたすらいい音楽を求めていた職人気質のジョーと、実務に長けたトム。
ただ待ってるだけじゃ駄目だ、大物が飛びつくいい機材を導入したいということで、トムは当時家2軒分の値段がしたという(7万5千ドル以上)二―ヴのコンソールを購入しました。

映画では二―ヴがいかに優れているかを紹介したあと、、、

キース・オルセンが「最初に二―ヴを使って録音したのは『バッキンガム・ニックス』の『Crying in the Night』だ。」と語ります。
(バッキンガム・ニックスのこの曲がおさめられたレコードは現在廃盤で、CD化を切に願います)


Buckingham Nicks - Crying in the Night

リンジー・バッキンガム(ギター、パーカッション、ヴォーカル)とスティーヴィー・ニックス(ヴォーカル)による男女デュオグループ。
このアルバム作りに参加したミュージシャンは
Ronnie Tutt / drums
Jim Keltner / drums
Jerry Scheff / bass guitar
Gary Hodges / drums, percussion overdubs
Monty Stark / synthesizer
Peggy Sandvig / keyboards
Jorge Calderón / percussion
Waddy Wachtel / additional guitar on "Lola (My Love)"
Richard Hallagan / string arrangement
という、、、、凄いメンバーですねぇ。

リンジーは「トムとジョーは僕たちの親同然だ」と語っています。「でもきっかけはキースだ」と。

トムとジョーは才能豊かな2人を見込んで契約し、曲作りは全て2人に任せ、スタジオ、エンジニア、録音テープを提供したそうです。
そのエンジニアはもちろんキースで、彼はプロデュースも担当しました。
リンジーとスティーヴィーはロスに出てきたとき、キース・オルセンの家に居候していました。リンジーは絵を描いて売り、スティーヴィーはキースの家を掃除していました。
スティーヴィーは「いつまでも家政婦と思わないで」と当時よく言ってたとか。

1973年のこのアルバムは評価はされましたが、結局商業的には成功せず、バッキンガム・ニックスはレコード会社の契約を切られてしまいます。



Buckingham Nicks - Frozen Love


さて、当時『安く借りられるスタジオを探していた』というミック・フリートウッド。
フリートウッド・マックのドラマーです。
彼が雑貨店で相談した男性が、トムのところへ行って、「バンドを10%の手数料で紹介する」と持ち掛けます。
ミック・フリートウッドがスタジオを訪れた際、キースがバッキンガム・ニックスの音源を聴かせました。

その時スタジオBにいたリンジーとスティーヴィー。
(トムによると「契約を切られて行き場を失っていた」そうですが、とにかく時間があればスタジオにこもって楽曲を作っていたのでしょうね。)
休憩でスタジオBを出たリンジーは、スタジオAから聴こえる自分たちの曲、「フローズン・ラヴ」に引き寄せられて覗きに行きます。
『でかい男がリズムをとってた。何者だろうって思ったよ』(リンジー・バッキンガム)

さて、フリートウッド・マックは当時すでにヒットを放っていたバンドでしたが、オリジナルメンバーであるギタリスト、ピーター・グリーンが抜けて、後任のギタリストはボブ・ウェルチでした。
ただ、ボブはジャズ寄りで、バンドとの方向性は異なっていたそうです。
ボブが脱退した時にミック・フリートウッドは「サウンドシティで会った時はただすれ違った程度の男」であるリンジー・バッキンガムを思い出します。

いそいそとキースに「前に聴かせてくれたよな、あのギタリストが欲しい」と電話しますが、キースは「言っとくけど、リンジーはスティーヴィーと一緒じゃなくちゃ引き受けないぞ」と忠告。

というわけで、カップルまとめてフリートウッド・マックに吸収されました。
スティーヴィーによると『1975年の元日にフリートウッドマックに参加したわ。すぐにスタジオに入った。』

新生フリートウッド・マックはこうして誕生しました。

もしピーターが抜けてなかったら?ボブが続けていたら?ミックが雑貨屋に寄り道しなければ?ちゃっかり紹介屋が居合わせなかったら?
バッキンガム・ニックスがここで録音してなかったら?

そして、、、ミック・フリートウッドがサウンドシティのドラムの音を気に入らなかったら?
ミックは「あそこを選んだのは、ドラムの音がよかったからかもしれん」と言ってます。スタジオ代の安さだけじゃないんですね・笑
リンジーも「ドラムの音が良かったからうまくいったんだよ」と。

ほんとに人の縁とは不思議です。

音楽的バックボーンの全く異なる2人の加わった新生フリートウッド・マック。
1975年のアルバム制作時は「とても素晴らしい、夢のような時間だった」とキースとミックが語っています。


1975年のアルバム「フリートウッド・マック(邦題はファンタスティック・マック)」はバンド初のビルボード1位を獲得し、プラチナにも認定されました。

1978年のアルバム「噂」は31週にわたって1位を獲得し、グラミー賞の最優秀アルバム賞を得ました。
「噂」レコーディング当時はジョン&クリスティン・マクヴィー夫妻は離婚し、リンジーとスティーヴィーも破局を迎えていましたが、精神的な辛さをレコーディングに全てぶつけて乗り越えています。

ファンタスティック・マック(リマスター&ボーナス・トラック・エディション)
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン



噂(リマスター&ボーナス・ディスク・エディション)
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン



Fleetwood Mac - Go Your Own Way (HQ)


私自身は世代的にこれよりちょっとあとの、『ミラージュ』や『タンゴ・イン・ザ・ナイト』がリアルタイムなのですが、Go Your Own Way は家でもよくかかってたのを覚えています。


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Майя Плисецкая・・・・Мы потеряли незаменимого....


尊敬するバレリーナのプリセツカヤ急逝のニュース、とても哀しいです。

かけがえのない方でした。

映像で何度も観た彼女の『瀕死の白鳥』を、生で初めて観ることができた時、彼女は既に高齢で普通のバレリーナならとっくに引退している年齢でしたが、あまりの素晴らしさに驚愕したのを今も覚えています。


何度も日本に来てくれて、どんなちっぽけな公民館みたいな舞台でも最高のパフォーマンスをしてくれた方でした。


瀕死の白鳥について、録音された音源で踊る時や、ピアノ伴奏の時、チェロの時、他の楽器の時との踊り方の違いとかの話も印象に残っています。


シチェドリンが亡くなった時に2人一緒に空から散骨してほしいという遺言が発表されました。。。

Maya Plisetskaya in Don Quixote ca 1959



Alexander Godunov, Maya Plisetskaya, Carmen-suite, 1974


Ravel Bolero Maya Plisetskaya


プリセツカヤ・シチェドリン財団の公式サイトの映像コーナー
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ファンタジー・オン・アイス2015 追加出演者



ファンタジー・オン・アイス2015の追加出演者が発表されております。
公式サイトはこちら


常々、ファンタジーと名付けるからにはフィリップがおらにゃーウソだろと、心の狭いこと言ってましたが、ここへきてそのフィリップが出演となりました。



ただし神戸のみ


いいなあ神戸。。。。

いや、静岡もアンナ&ルカが追加になりましたけどもー。

ワタクシ今回は6月6日と7日の静岡公演を買ったんですよねぇ。。。。
だって一応地元だし(正確には菊川だから、ちょっと離れているけど県内は県内)

神戸は7月ですか。どうしようかなー。


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あっという間に5月

4月は一瞬で終わってしまった印象です・苦笑

10月から3月までとある地方駅の店舗リニューアル~立ち上げを担当させていただき、かなり好き勝手にやらせてもらえてました。

いくらなんでもなー、この天国はいつまでも続くまい、、と思いつつ、半年の定期が3月31日で切れるので、3月に入ったころ、「はて、次の定期はいつごろ買えばいいんだ?」となりまして。

何しろ定期なんてものを買ったことがなかったので、継続するときっていつくらいから買えるのかとか知らないし。

6月末の会社幹部の辞令発令とかで7月は大きく異動があるし、おまけにうちの支店、4月から6月にかけて、大型店舗を二つリニューアルというスケジュールなんですよ。
そうすっと、、まあ、店が二つ新しくなるってことは、そこでどでかい人員のシャッフルがあるよなあと予想がつくじゃないですか。

だからまあ、次の異動は6月くらいかなあとふんで、定期を買おうかなと思っておりました。

ですので今度買う定期券、はたして6か月定期でいいのか、それとも3か月?1か月?うーん。どうしましょ。


などと考えていた時に、資料作成で会社の事務室に行ったときに、とある部の課長から「おい、お前の店、どうだ調子は?」と聞かれました。



内心『はー?つい2、3日前会議いっしょにやったやないかい!』とカチンときましたが、、、、地方駅のちっぽけな店のこと、聞いちゃいないんだな、と。。。。


ほんで数字とか挙げたら「なんだそんなにいいのか?」って。


あのですね。。。だから会議で言ったよね。。。




そんなこんなで、いつまでも楽をさせてくれるわけではなく、、いや、楽はしていませんが、そうですねー、、簡単に答えの出るような楽しい楽しい楽しいお店にいさせてくれるわけではないということで、、、


4月からの静岡問題山積み店舗に復帰です・苦笑
定期は買わなくてすみました。


毎日いろいろ問題が次々に出てきて、おかげで退屈しません。
へこんでる暇がないのはありがたい。
1人辞めちゃったしなー。。。。

4月にかなり規定労働時間を超過していて、組合から警告きていますが、5月は人員も確保できているのでいい感じの勤務シフトです。
連休も何回か入ってるから、マーマレードも作れそうだし、バレエもなんとか行けるかな。
でもダンチェンコのエスメラルダの日は会議が入ってるんですよねぇ。。。
新幹線使っても遅刻かな。そこだけ残念!


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