激熱吹上温泉上段の湯の話を持ち出してしまった以上、語っておかなければならない話がある。僕はある高名であろう人に出会った。
あれは三年前。二度目の北海道旅のことである。
初年度に行った吹上温泉では、常連パワーに臆して、上段の湯船に浸かることは出来なかった。
二年目の僕は、今年こそはという強い想いを抱いて吹上へと向かう。
時は夕刻、もうすぐ陽が沈むであろうと思われる頃。
吹上温泉は意外にも空いていた。下段の湯船に浸かりながら、機を伺う。上段の湯には壮年の男性が一人。出来れば、誰もいなくなった所を狙いたいものだが、なかなかいなくなってはくれない。機を伺い続ける僕である。
お爺がなかなかいなくならないので、無人の湯はあきらめ、上段の湯へと向かうことにする。階段からではなく、岩場を登って。
とりあえず入ってしまえば、こっちのものである。湯船脇に辿り着いた僕は、お湯の中へザブンと飛び込む。
その間・・・0.5秒。激痛なんてものじゃない。熱湯コマーシャルよろしくである。湯船脇に飛び出て、転げ回る。
「あち、あち、あち、あち、あち!うぉー!なんじゃこりゃ!あちあちあち!」
さすっても熱い、転げても熱い、何をしても熱い。一瞬の出来事だったのに、湯に浸かった部位が真っ赤に変色している。ほんとに。
湯船のへりに座って、そんな模様を見ていたジジイが、大声で笑いながら言う。
「そりゃあ、熱い、うん、熱い」
ふざけんなジジイ!熱いんだよ。痛い痛い痛い。あちあちあちち。なんなんだこの熱さは。そう想うもあまりの痛さに言葉にならない。
熱さと痛みが少し和らいだところで、やっと会話が成り立つ。
「何度くらいあるんすかねぇ?」
「今日は47.8度だな」
温度計は・・・ない。体感温度だ。
十勝岳温泉。活火山の十勝岳の影響を受けている。火山の具合に寄って、温度が変化するそうだ。50度を超える時もあるらしい。
「しばらく掛け湯をして、身体を慣らしなさい」
お爺様、意外と優しい。お名前を伺うと、みんなは「てす爺」と呼んでいるそうだ。
言われたとおり、そこでしばらく掛け湯をする。
しかし、この掛け湯でさえも熱い。あちちちち、なのである。
かなり痛い想いをしたせいで、もう湯船に入る勇気が・・・なくなった。
話をしながら、30分も掛け湯を続けただろうか。
なんとなく入れるような気がしてきた。足先を入れてみる。
「ぎゃー!熱いぃぃぃ!」
てす爺は言う「末端は一番熱さを感じるもんじゃ。足先、指先は一番痛い。身体まで入ってしまいなさい」
「・・・無理です」「痛すぎます」
何度かそんなやり取りを繰り返すうちに、なんとなく入れるような気がしてきた。
あちちを我慢して膝まで、腰まで、背中まで・・・。相当熱い。相当痛い。足の指先にビリビリと耐えきれないほどの痛みを感じる。
せっかくここまで浸かったんだ・・・せっかくだから首まで・・・。
その瞬間、大きな声が聞こえた。てす爺の声だ。
「湯船の底にお尻を付けて!」
湯船の底にお尻るとアゴまで浸かる。
「無理です!」
「無理じゃない!付けなさい!」
えっ?なんで?なんで?なんで?命令?しかも、けっこう怒気を含んでない?
頑張ってお尻を付けた。痛い。動くと痛い。動かなくても痛い。熱いというより、ただただ痛い。
もう上がろうと想い、腰を浮かそうとすると・・・
「まだだ!お尻を付けたまま!」
え?なんで?なんで?まだってなんで?
なかなかお許しが出ないので、僕は言う。
「もう無理です!熱いです!」
「全然熱くないっ!熱いと想うから熱いんだ!熱くないと想えば熱くない!」
えっ?何?禅問答?熱くないとか想えるわけないじゃん。死ぬほど熱いんだから。ジジイ、なんなの?
ふとてす爺を見ると、背中をピンと張り、凛とそこに座っている。・・・仙人なの?
特訓だ。スパルタだ。修験道だ。
仙人のおかげで、僕は激アツ上段の湯に軽々と入れるようになってしまった。
仙人が先に帰った後も、他の常連さんたちに混じって、上段の湯に入り続けた。
熱くないと想えば熱くない・・・お風呂にて。名言頂きました。
そして今回の吹上の湯。てす爺との修行の成果はまだ残っていたようだ。上段の湯に軽々と入れた。常連のじい様に聞くと、温度は46度だとか。まぁ、ぬる目だ。再び48度の激アツ風呂に挑戦したいと想う、僕なのである。
余談だが。
てす爺の苗字は曽蔵さんと言うのだそうだ。曽蔵てす爺・・・。なるほどねぇ。なるほどねぇ。哲学を語るわけだ。