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書籍「年金五万円が教えてくれたお金の向き合い方」「あるもので工夫する楽しい節約生活」は9万部。工夫の毎日は続く。

日本女性、顔も姿も観世音?

2017-08-15 10:09:23 | きものと身体

 

先に紹介した矢田部氏の「たたずまいの美」。

着付けだけじゃなかった、たたずまいの美」


そのなかに、日本では肉体そのものより

身体と仕草などのあわい、

「たたずまい」に美しさを見る、

とありました。


同じような文を読んだことがあるなあ、

と考えたところ、

そう、かの「陰翳礼賛」(谷崎潤一郎著)。


何度か読んではいるのですが、

若い頃には実感わかず、

きもの着る前にも、モ一つ理解できず、

覚えているのは

「羊羹、暗闇」説くらいです。

そう、羊羹のあの色は、

「室内の暗黒が一個の甘い塊になっている」と

いうもの、

つまり「暗闇の煮凝り」というわけですね。


お茶を習う前は、あの甘さが苦手だったのですが、

あの甘さは、抹茶の苦さと融合して初めて

「暗闇」を体感できるのですね。


で、改めて「陰影礼賛」をめくってみると、

そこに面白い一節を見つけました。

日本女性の身体は、「文楽の人形」説


文楽の人形は顔と手と衣装だけが見えていて、

身体や足は衣装に包まれている。

借り写真です。


かつて日本女性は、

「襟から上と袖口から先だけの存在」、

つまり「顔と手)だけの存在」だった。

と谷崎先生。

衣装に身体が隠されている、

肉体を意識させないための

衣装だった?


まあ、そのくらい「暗闇のなかにひっそり」

と存在していた~~。


そのくらい身体の主張がなかった、

と考えるのは、

勝手に「女性崇拝」をなさる谷崎先生らしくは

あります。

これは身体、というより

「肉体の形態」にそれほど重きを置かなかった、

いうことかも。


そこからの連想で

「中宮寺の観世音こそは

昔の女の典型的な裸像ではないか」と仰る。


で、調べてみました。

中宮寺の観世音。

借り写真です。

おお、美しい。


「真直ぐな背筋と腰と臀の線。

胴の全体が顔や手足に比べると~~、厚みがなく、

肉体というよりもずんどうの棒のような」。

まさに文楽の「棒」と仰る。

ずんどうの棒」というと、

今では決して誉め言葉に聞こえませんが、


先生、誉めているのですよね?



お顔だって、細く切れ長の目、

おちょぼ口、胸くらいまである顔!

美しい~~。


私、この一節と観世音さまのお顔を見て、

道行く人々の顔をつらつら眺めてみると、

多くの日本女性の多く?はこんな顔。

神々しい、そして美しい!と感じるように

なりました。


ただ、残念なことは「たたずまい」が~~。

おい、人のこと言えないぞ、はい。


で、ついでにもう一冊。

休んでる間にたくさん本を読んだのよ。


「霊的人間」(鎌田東二著・角川文庫)


この本は、著者が「霊的」、

「目に見えない精神」とでもいいましょうか、

そんなモノと交信した人たち、

宮沢賢治、空海などを紹介。

そのなかの一人小泉八雲、はい、

「雪女」「耳なし芳一」などの「怪談」を

書いた人ですね。


彼は日本が好きで、

「日本のものはすべて、繊細で巧緻な芸術品

と述べ、

「不思議な魅力を持つ樹木、光みなぎる大気、

~~加えて全世界でもっとも愛すべき国民のすべてを

ひっくるめた、日本全部が欲しい」とまで。


ほんとにきれいな樹木。

日本全部を買い取りたい、とはすごいですね。


もちろん、彼は日本女性と結婚。


こんな意見が、テレビや雑誌など巷に

もっともっと流布すると、

日本女性は、もっともっと、

本来の「美しさ」に気づき、

自信を持つのではないでしょうか。


「美」の規準は変わりますね。


無理に痩せたり、あの体型に近づけようと

身体を痛めつけなくても

持っている美を意識すればいい、

と思えてくる。

日本を偏愛した男性二人の

「日本礼賛」でした。


谷崎の愛した美人たち

谷崎邸と芦屋界隈」

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コメント (4)
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