少し色の勉強をしようと思っています。
最初に届いたのは、この一冊。
「
これまでどんな色を
身に着けていたのかと思うほど、
目からウロコ状態なのです。
まず面白かったのは、
個人の好みは「十人十色」として、
そこに社会的なメッセージが加わると、
特定な配色に限られてくる、というページ。
わかりやすい例が結婚式やお葬式。
花嫁=純白という社会的な価値観が
ベースになっているので、
ウエディングドレスは純白。
これが社会色。
それだけでは、
その人の個性が出ない
ということで、
ブーケや髪飾りなどに好みの色を持ってくる。
これが個人色。
社会性の純白に個人色を加え、
その人らしさと社会的な共感の表れ、
それを現実色、というそうです。
左から社会色、個人色、現実色となっていきます。
これをきものに当てはめると、
フォーマルを重んじる人と
カジュアルを楽しみ人のきもの=色は
おのずと違ってきますね。
ファッションを社会的なものととらえるか、
個人的なものととらえるかの違いです。
そこでまあ、
論争が生まれるわけですが、
これがわかると、
相手が重んじている立ち位置がわかる。
学校の先生と生徒、
親と子の攻防みたいなもの?
「そんなもの着て外に出るの?」
「ほっといて」
まあ、先生(親)も生徒(子)もいろいろ、
生徒(子)には、
またその社会があるわけです。
自分の属している「社会色」を重んじる人は、
「似合う、似合わない」の前に、
身に着けない色、あるいは、
身に着けたい色がある。
きもので赤はNG,
なんたって白、
あるいは乙女はピンクでしょう、などなど~~。
先に述べた「幸田文の箪笥の引き出し」の
「赤姫」の一文には続きがあります。
母親である文さんは、
「嫁さんの親は黒の留袖にするのが決りだけど
黒は何だか着たくない。
向こうのお母さんに許していただいて、
ちょっと外して紫にしよう」
と、紫の着物を注文します。
「向こうの親に許していただいて」と
社会性を重んじながらも、
個人色を重んじるあっぱれさ。
文さんだからこそできること。
式当日、
玉さんが広い会場を見渡すと、
~~会場は暗く感じる。
~~黒の礼服も黒留も喪服に似る。
隅の一点に紫がある。
ああ、母さんはこれを考えて
紫を作ったのかと悟った。
「私はここにいるよ」
社会色と個人色が逆転、
けれどラストでほろり、
世間の目より母の愛、
というより大きな社会性を感じさせる
いい話です。
わが家のクリスマスの残骸。
サンタさんの赤は、
似合っても似合わなくても社会色。
「赤は似合わないから着たくない」
というサンタさんが出始めて、大混乱~~。
それはそれで面白い。
そして私は、
ようやく少しだけ社会色に目覚めた?
生涯一生徒、それも劣等生。
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