涼しい、というかもう寒いくらいの朝。
ウールのカーデガンを羽織りました。
二階のパソコンで落ち着いて
仕事などができるのが嬉しい。
さて、昨日アップした
「長く生きるほど賢くなっていく」
のお話。
そのなかで、
「心配事がないときこそ、
人が自由になれて
どんなことでも経験できる」との言葉。
なるほどと思いながら、
「その心配事がなくならないから
苦労するのではないの」との思いも
頭をよぎりました。
そして、
日々心配事に圧迫されていた頃のことが。
暗雲立ち込めていた日々。
私は、
長くフリー、
いわば自由業(不自由業?)
自営業で生活していたので、
仕事がなくなったらアウト。
事情があり別れた方からも
もらっていなかったので、
いつもお金の心配がありました。
それでも当時の経済は上り調子、
友人たちと編プロまがいのことを
やっていて、
お互いに仕事を
分け合っていました。
そんな中で、
いきなりある事情があり、
ワタクシは編プロをやめる
(追い出される?)ことになり、
固定の入金がなくなり
どん底に。
突然、収入の道を閉ざされた私は当時
10歳と8歳の子を抱えて
お先真っ黒。
この先どうしようと、
ショックで一週間に五キロくらい
一挙に体重が減り、
人からは「別人のようだ」とまで。
言われました。
胃のなかの重い石が入っているような、
いえ、実際に入っていたのかも。
このままで一家もろとも~~、
故郷に帰ろうと妹になにげなく
言ったら、
「いや、こっちでは仕事ないから」
とやんわり?拒絶されてしまいました。
上野の藝大に行く途中にある生徒の作品。
タイトルは
「ねえ、おねがい」
まさにこんな心境。
10歳くらいだった息子には
当時の私の不安な心理状態が
伝わっていたのか、
結婚式で、
「~~絶対絶命の時期もありました」
と述べてワタシ、式でびっくり。
子どもは敏感、
なんでも気づいている~。
44歳、焦って就職活動をするも
すべてアウト。
このまま一家00との思いもよぎり~~。
どしようと思ったときに、
すっかり忘れていた通帳を見ると、
一年分くらいは
生きていける金額があった!
紅型帯で上野へ。
当時を思い出すと年金少なくても
仕事しなくても入ってくるなんて、
恵まれた生活だなあ。
この貯金がなくなるまでは
とにかく生きて行こうと決意。
こう書くと、すぐに立ち直った
ように見えますが、
そんなことはない、
再婚話に乗ろうとしたり、
就職活動などに
見栄も外聞もなく走り回りました。
その後ある業界紙が雇ってくれたので、
一息つけたのですが、
この会社の面接がまたおかしくて、
今思い出せばですが。
内情も驚くことが多い
不思議な会社でした。
お金についての不安、
いま少ない年金で暮らすように
なってようやく、なくなりました。
息抜きに、
宇多田ヒカルと椎名林檎さまの
大好きな歌。
「二時間だけのバカンス」を。
「朝昼晩とがんばる
私たちのエスケープ」
涙出る、この歌。
というわけで、
当時のことを思い出し、
上野の話は飛んでしまいましたね。
息子も式で皆の前で
堂々と~~?当時の心境を述べて
くれたので、
これからは誰はばかることも
なくなったので、
こんな話もたまに。
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