仕事で地方に行っていて、
ホテルに帰ってテレビを点けると
NHKで
「樹木希林スペシャル」をやっていました。
もう食い入るように見てしまった。
あと一年持たないでしょう、と
医師から宣告された全身ガン転移の画像を、
「私を撮るのはいいんだけど、
目玉がないでしょ」と自ら提出。
この取材のときですね。
フィクションだろうが、ノンフィクションだろうが、
撮るからには~~というプロ根性。
画面のなかの彼女は素顔というわけではなく、
やはり女優として演じている部分もあるのでしょう。
この人、自分でギャラ交渉することは
知る人ぞ知る。
そのシーンが撮られていました。
片方の手のひらで隠し
向こう側での指交渉。
「~~ちょっと安いわね。私、
ナレーションもするのよ」
「これ、ナレーションの値段よ」
が正しいそうです。
訂正ありがとうございます。
もっとスゴいですよね。
思わず笑ってしまった。
彼女にとってこれは相手を試すゲームかも。
余命一年満たないと宣告受けながら、
映画四本、プロデュース一本と
精力的に動く。
そして自宅に医師を招いて、
どのように最期を迎えるかの相談。
「やはり自宅がいいわね」
その場に同席した娘の也哉子さんは
イギリスにいるそうで、
「別にかえってこなくていいわよ」
「そのまま捨てていって」と樹木さん。
ご自宅で。
最後までクールな樹木さん。
もっと早くに乳がん見つけて、
もっと活躍して欲しかった。
まさにわがまま、思うがままの
人生~、に思える。
で、この方のドキュメンタリー見ながら
思い出したのは
エンデの名作「モモ」(岩波書店)の
「時は自分、時は命なり」という考えかた。
経済優先の世の中で、
多くの人は、
「時は金なり」と教えられてきました。
そんな考えに一石を投じたのは
「モモ」
時給という言葉に表されるように
時間イコールお金という考えに抵抗して、
時間どろぼうから自分を取り戻そうというお話。
時間銀行の人に、どんどん自分の時間を渡して、
忙しくなって消耗し始める人々を救うために
モモが戦いを挑む。
若い頃読んだなあ。
読むぶんには面白くても、
そうもいかない現実だった。
時間に追われ、子供の学費やら稼ぐために
ずいぶん、
あくせくしてきたなあ。
でも、樹木さんや佐野洋子さんなど、
死期を前にしての見事な生き方を知ると、
「時は金なり」ではなく、
「時は命なり」と
つくづく思ってしまいます。
どんなにお金があっても、残り時間は増えない。
「時間の言語学」(瀬戸賢一・ちくま新書)
読んだものの、あまり理解できなかった(汗)、
「時間の言語学」
あいだ、すっ飛ばしてのラストの
「私たちが縛られているさまざまな時間の考え」を
解き放つために、
「時は円環する命」を提言したい、
という一節も、
思い出しました。
時は円環する命、
日本にある四季もまた、円環する命。
桜は散ってもまた次の年には桜は咲く。
自分の命は終わっても、次にバトンタッチする命。
こんな風に考えるのは、もちろん自分の命が
残り少なくなってきたからですが、
人はみな、年齢に関係なく、短い生を生きる。
ってことに早く気づけばよかったなあ。
「時は金なり」って考えに押されて
あくせく生きるのではなく、
「時は命なり」と自分の時間を生きることを
もっと考えてもよかったかなあ。
そっちのほうが結局お金が入るってこと
ある。
「樹木希林を生きる」は、「自分を生きる」ことを
考えさせてくれました。
そうそう、樹木さん家、ってお金や死や病気の話
普通にしているのよね。
家族ともっと死や病気、お金の話をしませう。
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