最近よく思うのは、
いい意味でも、悪い意味でも
人って何を考えているのか
わからないなあってこと。
アドラー心理学では、
「すべての悩みは人間関係からきている」
と言いますが、
ホント、そうだと思う。
毎日一緒に住んでいる家族でさえ、
家族だから?
わからない。
親は子供が自分の言うがままになっているとき、
「自分は子供のことがわかっている」と思うそうです。
ところがいざ、子供が反抗しはじめると、
「何を考えているのかわからない」と嘆く。
自分の子どもでも、
何を考えているかはわからない、のは普通。
同じモノを見ても、
「面白い」「可哀そう」「どこが面白いの」
と感想様々なのは当然なのに、
なぜか家族向かうときには
そんな視点がなくなってしまうことあります。
「えっ、そんなこと考えていたの?」って
びっくりすること、させることいっぱいある。
特にこの度の結婚式への対し方、
ものすごく考えが違っていて驚き、発見
たくさんありました。
進学、就職、結婚といった
通過儀礼に向かったとき、
そんなことでぶつかること
あるのではないでしょうか。
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自分で自分がわからないことも。
それにしても着物着たい!
人って、どんなことを考えているかわからない。
「あの人は私を避けている」
これだって、本当にそうかどうかはわからない。
実は「ほかのことに気をとられていた」
「もっと大切なことがあった」
「人にいちいち笑顔を見せる習慣がない」
「特に私(あなたに)単純に関心がない」
「機嫌が悪かった」などいろいろな理由がある。
「人にいちいち笑顔を見せる習慣がない」
「特に私(あなたに)単純に関心がない」
「機嫌が悪かった」などいろいろな理由がある。
でも自分中心に考えて、
挨拶返してくれない、
話しかけたのに上の空、
話しかけたのに上の空、
私を見て、廊下を引き返した、
など自分の視点だけで物事を見ていると、
など自分の視点だけで物事を見ていると、
「あれっ」って思ってしまいます。
何か事が起きたとき、その原因を、
自分に引き寄せて考えてしまいがち。
だから、
「自分を避けている」と思うとき、
相手が自分を避けているのではなく、
自分が相手を避けている行動に出てしまう。
自分が相手を避けている行動に出てしまう。
結婚式の日に台風が来るかも、
と考えるとことは、
台風が来た時のために準備しておいたほうが
台風が来た時のために準備しておいたほうが
いいなということ。
これは「マイナス思考」とはいわない。
だから、即、現実にはならないのです。
でも、人に関しては別かも~~。
「思ったこと」相手の前で
態度に出てしまうから、
相手がそれを感じる~~。
「あの人、私に意地悪。嫌だわ」
と思ったとして、
その人のいい面を探す、
その人のいい面を探す、
という考えもありますが、
その人のいい面を探すというのは、
もうその人に注目するということで、
一層、その人に捕らわれてしまう。
一層、その人に捕らわれてしまう。
人にはいくつもの顔があります。
そのなかの一つを見ているに過ぎない。
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「興福寺」の阿修羅像。
いくつもの顔を持つ。
だから、「嫌われている」と感じた?としても
その人に向かうとき
もう「何も考えない」。
これが一番です。
少なくとも私の場合。
相手、私に対して何も思ってなかったり、
逆に親切だったりしたこと結構ある。
その人を、こんな人だ、あんな人だと
と思い込むことなく、
自然に任す。
自然に任す。
すると、身体も心も緊張することなく、
それこそ、
それまで無意識が蓄積している情報が作動して、
それにふさわしい言動をさせてくれます。
それにふさわしい言動をさせてくれます。
いや、これってホント。
えっ、何、この人すごいいい人じゃんってこと多い。
「嫌な態度」で対応されたときも、
ポカンとしている、
天然でいる、
いい家で育ったから、
意地悪ってどんなことかわからない(笑)
って顔でいる~~。
少なくとも、それ以上悪くなることはない。
相手と同じように嫌な反応見せたら、
事はどんどん悪いほうに向かいます。
もちろん、パワハラといった行為にには
抗議を。
ということで、
引き寄せすぎて、
ちょっとせわしい~~。
それにしても、着物着たい!(笑)
いつも応援ポチ
ありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。
嫌われているかもしれない…と、思った時、
さあ、紫苑さまならば、どう立ち回って行くのかしら…。
と、読み進めて行くと、
『ポカンとしていること』…!
素晴らしいです!手放してしまうのですね!
私も、「諦める」という事を、心がけています。
言葉は違いますが、同じような感じですね。
でも、「ポカンとしている」の方が、
「諦める」より明るくて、いい感じです(笑)
というときは紫苑さんの処を訪問しよう。
今日も気付かされ参考になりましたー。
人はどんなに親しくても、いつも猫よりずっと疲れるもの。 でも自分がどういう人間なのかも時々解らなくなるのですから、迷ったときはせめて、ぽわ~んと。
素敵なコメントありがとうございます。「諦める」って嫌われてもいいやって思うこと? 嫌われてもいいですよね(笑)。その人が嫌うだけで、ほかの人は好いてくれているかも。みんなに好かれることはできないし。嫌われるって個性があることですから~~。
コメントありがとうございます。親しくても猫より疲れるって、思わず大笑い。そりゃそうです。人間だもの(笑)猫は猫で、何か思っていても特に害はない。
迷ったり、嫌なことあったら、それこそぽか~~んとする。バカになる~~。これ、ほんと楽です。