先祖の代から門徒となっているお寺の建て替えが行われる計画を3年前くらい前に承知した。
先祖の土地から離れてン十年、今は2つ隣の町で生活しているがお墓は元の位置に鎮座している。
建設委員会なるものが組織され、近郷近在の門徒はほぼ全員が立て替えのための寄付をした。
右へ倣えで寄付をしたりしたら、おおよその工期等の連絡が来た。
それなりの大きな木が必要だし、暫く自然乾燥などして変形などがないようにするため1年以上材木を寝かせて置く必要もあるそうで、寺社の建設はそれなりに大変のようだ。
計画では昨年の3月に棟上げをして9月過ぎには秋の彼岸の法要が出来る予定であった。
ところが基礎を作ったあと作業が遅れ、しかも棟上げをする直前に地震が来た。
多くの寺が倒壊する中で、立て替えのため解体されていたため全く被害は無かった。
3回ほど完成時期が遅れて延び延びになっていた本堂再建が成って本日完成の法要が執り行われた。

ただ本堂だけの完成で、アプローチなどはまだ工事続行中だった。
一週間前に境内などの草取りの奉仕活動があって参加したが、これで完成法要は出来るのだろうかと疑問に思った。

まだ回りは工事が継続中で立ち入り制限のロープが張り巡らされていた。

内部もまだガランドウで祭壇も、飾りもなにもない状態だった。
本尊などは修復して近県のお寺に預けてあるそうでこれらのセッティングもそれなりに大変だろうと思ったものだった。
しかし住職の言によると、照明や音響などは今朝までかかって業者がどうにか間に合わせてくれたという話だった。

今まで畳敷きだった本堂も板の間になっていて、小さな椅子がセットされていた。
みな年配のものが多く正座の出来ない人が多いので、確かに椅子は助かる。
建物に一歩足を踏み入れると、新しい木の香りが本堂の中一杯に広がっていてとても気持ちが良い。
皆さん赤い教本のようなものを持っていて、住職のお経に会わせて経を唱えている。
手持ちぶさたの一時かと覚悟を決めていたら、何処かの女性が近づいてきて1冊手渡しながら「今この辺りです」と教えてくれた。
で、とうとう皆さんに会わせてお経を唱えることになってしまったが、お陰で退屈はしなかった。
「正信念仏偈」というやつで、後半は謡曲と同じように経文の右又は左にゴマ点(、)が打ってあってその方向・形によってお経の声の高低・長短など唱え方を分かり易くしている符号があるのが珍しかった。
住職や皆さんの唱え方と符号を比べながら読み進むと終わり頃にはある程度おなじ調子で唱えられるようになった。
法要や、葬儀などの際にお経を聞いていて音程やら調子の取り方に、いつも習っている謡曲に似た感じがしていたのだが、まさかお経にゴマ点をうって節をつけているとは知らなかった。
今度の謡曲の練習の日には、皆に知ったかぶりして自慢してやろうと思う。
最後の住職の法話に出てきた「諸行無常」も震災という事実の前にはなかなかの説得力を持つ。
時々はお経もいいものだ。
「幸福と不幸はいつも人の数」

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先祖の土地から離れてン十年、今は2つ隣の町で生活しているがお墓は元の位置に鎮座している。
建設委員会なるものが組織され、近郷近在の門徒はほぼ全員が立て替えのための寄付をした。
右へ倣えで寄付をしたりしたら、おおよその工期等の連絡が来た。
それなりの大きな木が必要だし、暫く自然乾燥などして変形などがないようにするため1年以上材木を寝かせて置く必要もあるそうで、寺社の建設はそれなりに大変のようだ。
計画では昨年の3月に棟上げをして9月過ぎには秋の彼岸の法要が出来る予定であった。
ところが基礎を作ったあと作業が遅れ、しかも棟上げをする直前に地震が来た。
多くの寺が倒壊する中で、立て替えのため解体されていたため全く被害は無かった。
3回ほど完成時期が遅れて延び延びになっていた本堂再建が成って本日完成の法要が執り行われた。

ただ本堂だけの完成で、アプローチなどはまだ工事続行中だった。
一週間前に境内などの草取りの奉仕活動があって参加したが、これで完成法要は出来るのだろうかと疑問に思った。

まだ回りは工事が継続中で立ち入り制限のロープが張り巡らされていた。

内部もまだガランドウで祭壇も、飾りもなにもない状態だった。
本尊などは修復して近県のお寺に預けてあるそうでこれらのセッティングもそれなりに大変だろうと思ったものだった。
しかし住職の言によると、照明や音響などは今朝までかかって業者がどうにか間に合わせてくれたという話だった。

今まで畳敷きだった本堂も板の間になっていて、小さな椅子がセットされていた。
みな年配のものが多く正座の出来ない人が多いので、確かに椅子は助かる。
建物に一歩足を踏み入れると、新しい木の香りが本堂の中一杯に広がっていてとても気持ちが良い。
皆さん赤い教本のようなものを持っていて、住職のお経に会わせて経を唱えている。
手持ちぶさたの一時かと覚悟を決めていたら、何処かの女性が近づいてきて1冊手渡しながら「今この辺りです」と教えてくれた。
で、とうとう皆さんに会わせてお経を唱えることになってしまったが、お陰で退屈はしなかった。
「正信念仏偈」というやつで、後半は謡曲と同じように経文の右又は左にゴマ点(、)が打ってあってその方向・形によってお経の声の高低・長短など唱え方を分かり易くしている符号があるのが珍しかった。
住職や皆さんの唱え方と符号を比べながら読み進むと終わり頃にはある程度おなじ調子で唱えられるようになった。
法要や、葬儀などの際にお経を聞いていて音程やら調子の取り方に、いつも習っている謡曲に似た感じがしていたのだが、まさかお経にゴマ点をうって節をつけているとは知らなかった。
今度の謡曲の練習の日には、皆に知ったかぶりして自慢してやろうと思う。
最後の住職の法話に出てきた「諸行無常」も震災という事実の前にはなかなかの説得力を持つ。
時々はお経もいいものだ。
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