ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

勝ち組・負け組が存在しなかった時代

2011-01-23 22:26:52 | Weblog
土曜1時からのTBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」の昨日のテーマは「あなたは勝ち組、それとも負け組?」。リスナーから様々なメールがよせられました。

「私は専業主婦です。10年前までは勝ち組だと思っていたんですが、今は家族4人とも無職」とか「子供が障害を持っていますが、他のお母さんが経験できないことが出来たし自分は勝ち組だと思う」などなど。

僕がなるほどなと思ったのは中学の同窓会に行ける人は勝ち組。行けない人が負け組」という意見です。いまにして思えば自分も中学の同窓会には最初の2度ほど参加していました。当然、パニック障害になる前ですね。

中学が同じクラスで高校も一緒だった好きな女子生徒に誘われていたのもありますけど。それはおいといてこの頃の僕は勝ってはいないにしても負けているという感覚もなかったと思います。まあ、この時代はまだ勝ち組、負け組という言葉すらありませんでしたが。

同窓会から25年近くたって覚えているのは憧れの女子生徒でも仲の良かった友人との会話でもなく、不良だった女子生徒に「大人っぽくなったね」と言われた事でした。僕はたぶん、「そんなことないよ」的な言葉を発していたと思うけれど、本音は嬉しかった。いまにして思えば、僕が細身でひ弱く見える自分にコンプレックスを持っていたことに気づいていたのかもしれない。

昔は確かに心根の優しい不良というものが存在していたように思います。タレントでいえば、三原順子、中森明菜など。飯島愛ぐらいまでだろうか。長いスカート引きずってた昭和の不良少女の系譜は。


近況ですが、状態は相変わらずです。パニック発作が起きたその夜は胃の不快感もあり眠れませんでした。予約を入れていた眼科はキャンセルしようと思いましたが、気が変わり行ってきました。

何とか自転車で病院までは行きましたが、待合室で椅子に座っている間に調子が悪くなりました。何せ昨日の今日でしたから。トイレで薬を飲もうとしたら、ちょうど名前が呼ばれました。何度も呼ぶので薬は飲まず、診察室に入りました。

コンタクトレンズを作るために実際にレンズをはめて検査をしました。入念に検査しているうちに帰って少し不安感は和らいでいました。

少し落ち着いた状態で病院を出て自転車で店に向かいました。距離にして2キロくらいでしょうか。最初の方はまずまずと思っていたのですが、後半になるにつれて神経が過敏になりました。それでも何とか自転車から降りることなく店に到着できました。

今日も根本的に調子は変わりません。明日、コンタクトが届くそうですが行くつもりはありません。店が休みの日に取りに行くつもりです。店より自宅からの方が病院に近いからです。水曜日には専門外来もあるので大変ですけど・・・

いまのこんな自分の姿を見たらかつての不良少女はなんと声をかけるのだろう。言葉もないだろうけど。

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