ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

レッサーパンダの風太を見て思う

2018-03-16 18:38:51 | Weblog
いつの時代も天才というものは現れるもので、最近では将棋界で藤井聡太という天才。いや大天才が出現しました。天才は人間界だけでなく、動物界にも現れます。パンダの可愛らしさ、愛される能力は、天才的です。45年ほど前に来日したカンカン・ランランの時代から現在のシャンシャンに至るまで、その人気は衰えを知りません。

レッサーパンダの風太の元気な姿を久しぶりにテレビ画面で見ました。聡太ならぬ風太。2本の後ろ足で立ち上がる天才。15歳だそうで、人間でいえば70歳ぐらいの老人という事です。最近は年のせいもあり、あまり立ち上がる姿を見せなくなったらしいのですが、周囲で見ている子供たちは「風太君、立って」と、無邪気に注文します。風太君は自分が立つことを求められているのを分かっているのだろうか?もし分かっているのなら、彼も辛いですね。

そんな現在の風太君にも例外はあり、おやつの時間になると立ち上がります。あの往年の姿が見られた嬉しさと、どこか立っている姿がたどたどしく見え、月日の残酷さ、哀愁のようなものを感じました。僕は言葉には出来ない何かを風太君から教わったような気がしました。

時に人は何もしゃべらない動物から、大切なメッセージを受け取っているのだと感じます。最近の猫ブームにしてもそう。可愛いで飼い始めたペットも大抵、飼い主より先に死ぬ。それは悲しみとともに生きる意味を伝えている気がしてなりません。

僕はオグリキャップという馬が好きでした。惨敗続きで迎えた有馬記念。騎手を天才ジョッキー武豊に変えたところで、難しいと思っていました。しかし、オグリは勝ちました。この時、僕は10代の終わりの浪人生。やがてパニック障害と判明する得体の知れないものを抱えて2年近くが過ぎていました。

僕はパニック障害の辛さで泣いたことはないと思います。そこには昭和育ち独特の「男は簡単に泣くものじゃない」という古めかしい不文律があるのかもしれません。しかし、スポーツニュースで辛島美登里のサイレントイブのBGMが流れ、オグリの走る姿を目にした時、涙が溢れてきたのを覚えています。これからこんな状態でどうやって生きていけばいいのかという苦悩で一杯の自分に、オグリは優しく何かを伝えてくれたような気がしたのです。

動物はいいですね。時に可愛く、時に我がままに。しかし、みんな毅然と生きている。



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