白雲去来

蜷川正大の日々是口実

久し振りに、箱根へ。

2009-08-30 13:17:16 | インポート

八月二十九日(土)晴れ。

 八時に起床。朝食後に家族全員で家の掃除。二時間ほどで終了。今日は、夏休み中に、子供達を何処へも連れて行くことが出来なかったので、箱根に、すすきを見に行くことにした。幸いに高速道路は混雑もなく、東名の厚木から小田原厚木道路を経て、箱根ターンパイクで十国峠へ出て、軽い昼食。写真を何枚か撮って芦ノ湖へ。残念ながら、すすきにはもう少し早いようだった。

Cimg6730 十国峠から見た芦ノ湖

 芦ノ湖へ来るのは何年ぶりの事だろうか。野村先生と熱海へ行く途中に来たのが最後だから、もう二十年近くも前だ。こういったところに来るといつも思うのだが、景色と言うのは、ある意味で残酷である。美しい、きれいだ、などといって眼福を重ねているうちに、見る方は歳をとって行く。が、しかし、景色の方は、わずか十年や二十年ではびくともしない。写真を見比べてみても、変わらぬ景色の中に、歳をとった自分がいる・・・。

 久し振りに訪ねた芦ノ湖の湖畔には、「箱根駅伝ミュージアム」が出来ていた。「寄木細工」の店をひやかしている家族と別れて、そのミュージアムをのぞいて見た。入館料は五百円也。箱根駅伝の歴史がパネルで紹介されているが、歴史的な資料の展示が少なく、チョット寂しい思いがした。私の高校の先輩で、中央大学の黄金期を築いた横溝三郎さんなども、まだご健在なのだから、ユニフォームや写真などもお借りしたら良いのではないかと思った。グッズも品そろえがイマイチで、センスがない。あまりにも専門的過ぎるのではないかと思った次第。

Cimg6752 箱根駅伝ミュージアム

Cimg6755 今年応援した青山のノボリがありました。

Cimg6735 駅伝のモニュメント。

 その後、熱海周りで帰ったが、途中愚妻が珍しく車酔いして、熱海を通り過ぎただけで、そのまま帰宅した。夜は、籠清で買った干物とさつま揚げで一杯やった。


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狼・さそり・大地の牙を知っていますか。

2009-08-30 12:37:36 | インポート

八月二十八日(金)晴れ。

 忙しい、忙しい、などと口にしつつ、考えてみれば、何もせず徒に月日が流れて行く。気がつけば、あと少しで八月は終わる。一年のうちに月が変わるだけで、何か寂しさを感じるのは、八月くらいではないだろうか。子供の頃も、「あーあ、また学校が始まる」と思って、八月の後半は、ブルーになったものだ。そんな思いが甦るのだろうか。

 私は、一年のうちで、夏が一番好きだ。それでも、だんだん「海へ行こう」という気持ちがうせてきた。これも歳のせいかもしれない。

 久し振りに朝から読書に没頭した。先日、購入した「狼・さそり・大地の牙ー『連続企業爆破』35年目の真実」(文藝春秋・千五百二十四円)という本。食後に、少し読もうかと思ったが、面白くて、仕事をほったらかして、イッキに読んでしまった。ここの所、購入した本が皆、良いものばかりなので、何か嬉しい。

 その事件は、昭和四十九年八月三十日の正午過ぎに、丸の内にあった三菱重工ビルに仕掛けられた爆弾が爆発、死者、重軽傷者を含め百三十人以上が死傷した事件である。飛び散ったガラス片が道路一杯に広がり、昼休みを楽しんでいた、何の罪も無い人たちがうずくまり、血だらけになっている衝撃的なニュースは、今も良く憶えている。

 当時の左翼過激派は、その反体制的な闘争をより過激なものとし、各地で過激な爆弾闘争を展開していた。その左翼の爆弾闘争を象徴するのが、この「三菱重工ビル爆破事件」である。その後、犯人達は全員逮捕されたが、そのストイックな生き様は、一部民族派にも影響を与えた。驚いたのは、逮捕された七人全員が、普通のサラリーマンとして生活をし、自分の存在をカモフラージュするために、創価学会に入信する者もいたことだ。更に、爆弾製造の知識を得るために、金属工場に就職したり、善悪は別として、その運動に対する姿勢から学ぶことも多かった。また、逮捕された時には全員自決することを申し合わせ、青酸カリのカプセルを用意し、結果、斉藤和が自決する。このことに関して、鈴木邦男さんが三一書房から「腹々時計と狼」を上梓して話題となった。

 その連続企業爆破犯の逮捕をめぐる産経新聞社の記者達のスクープを描いたドキュメントである。新聞記者の壮絶な執念の取材、人間関係など、とても感動する。

 犯人等が当時アングラで出版した爆弾教本「腹々時計」は、私も手に入れて、コピーして配ったところ、当局から事情聴取を受けたことがあった。また、裁判で彼等の死刑が確定したのが、私が、東拘にいる時で、何かの事情かは分からなかったが、私の房の二つ隣に、益永(旧姓片岡)利明氏がいた。私にとっても、忘れられない事件でもある。

 今日も、一日、「大吼」の編集。あと一息である。夜は、「三岳」で家飲み。肴は、餃子とビーフン炒めと、おでん。

0625 是非ご一読を。


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機関誌の返本にも楽しみがあった。

2009-08-30 10:53:15 | インポート

八月二十七日(木)晴れ。

 先日、弊社の本などを委託販売している会社から、「売れなかった本が大分たまっているので返本をお願いします」との連絡を頂いた物が事務所に届いていた。今回の返本は機関誌である。古いものでは平成十六年のものもあり、二百冊ほどが戻ってきた。年度によっては、完売している号もあり、ほとんど売れていない月のものもあって、中々興味深かった。どんな特集をしたものが完売して、どんなものが売れなかったのか、いずれ暇を見つけてデータ化してみたいと思っている。

 その返本された機関誌を自宅に持ち帰り整理した。あり難いことに、ほとんどがビニールでカバーがしてあり、全く汚れていないのだが、こんどは、そのビニールから本を取り出すのが、結構大変な仕事であった。それでも自分達が作った過去の機関誌が、新しいまま出てくると、家を出ていた子供が久し振りに戻ってきたような気がして、懐かしくも、嬉しくもある。まあ本来ならば、完売するのが一番良いのだが、それはそれで仕方がない。

 そんな作業に昼過ぎまでかかってしまった。終了後は、「大吼」の編集。本来は、努力をして月刊に戻したいとも思うのだが、年に四回でもアップ、アップしているのに、これが月刊となったならば、到底一人ではやれない。難しい問題である。特に大変なのは、〆切りに原稿が届かなかったり、手書きの原稿を入力する作業などだ。まあ好きで始めたことなのだから、愚痴をこぼしても仕方だ無いか。

 夜は、「三岳」で家飲み。のんびりした。


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