白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「駒形どぜう」の会

2010-01-24 14:09:32 | インポート

一月二十三日(土)晴れ。

 七時起床。土曜日だというのに家人は仕事。朝食後は子供達にハッパをかけて、上の子供の部屋の掃除をした。何せ、我が家の子供達は掃除が苦手。少し、気を許すと、部屋はゴミ屋敷と化している。マットレスや布団、ぬいぐるみなどを干して、掃除機をかけ、床を拭いた。一日、窓を開け放して空気を入れ替え、やっとまともな部屋に戻った。

 仕事をしようと思ったが、そんな訳で、終了したのが三時を過ぎていた。今日は、六時半から、浅草の「駒形どぜう」にて、仲良しの人たちと「どぜうの会」を催す。五時十六分の横須賀線、成田行きで「馬喰町」下車。そこからタクシーでワンメーター。相変わらず、お店の前には、順番を待つお客さんが列をなしている。

 そこは地元に会社のある、今日の勧進元の隠岐康氏、しっかり予約をとってあり、スムーズに席へ。有り難いことに個室である。今日の、メンバーは、隠岐、大熊、山平、徐、高崎の諸氏に私と、某出版社の編集長のA氏の七名。

 店名になっている「どぜう」は、実は正式な旧仮名遣いではない。「どぢゃう」と書いていたのを、文化三年(一八〇六)に店が火事に遭い、初代が商売繁盛を願って変えた造語とのこと。めでたいものは奇数と決まっていたので、当時有名な看板描き、今で言うコピーライターの撞木屋仙吉に頼んで書かせたのが始まり。二〇〇一年一月二十日で二百周年を迎え、現在は六代目が店主となっている。とは、お店に置いてあったパンフレットからの引用である。

 ここに初めて連れてきて頂いたのは、亡くなられた元日本青年社の会長だった衛藤豊久先生。以来、この店のファンである。「どぜうなべ」や「なまず鍋」その他の料理に舌鼓を打ち、談論風発、美酒爛漫。その後、錦糸町に転戦して、十一時前に解散。楽しい一日だった。

コメント (1)
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