一月二十七日(水)晴れ。
カーテン越しに入ってくる朝のまばゆい陽射しが目覚まし代わりになった。遮光カーテンを閉め忘れていたのが幸いして、目覚ましがなくとも起きられた。時計を見たら八時。風呂にしようか、朝食にしようか迷った挙句に、朝食の会場へ。すでに朝食を済ませて帰路についた人たちも沢山いるとの事。食後は、また贅沢に朝風呂へ。
帰り支度をして、ホテルを後にしたのが十一時少し前。高速に入って、来た通りに東名高速で帰ろうかと思ったが、天気が良いので西湘パイパスで海を見ながら帰ることにした。特に、小田原附近には、盟友で、若くして亡くなった渡邉康司氏が眠るお寺があり、そのすぐ脇を通る。彼が四十五歳で急死してから十四年が過ぎた。中々墓参りにも行けず申し訳ない。冬のやわらかな陽射しに照らされた湘南の光る海を車窓から眺めつつ、渡邉氏のことを思った。
湘南と言えば、石原裕次郎、加山雄三やサザンの桑田圭祐といった、いわゆる「湘南ボーイ」や、何か、とてもハイセンスな響きがあるが、実は、この「湘南」は、中国の景勝地にちなんで、そう呼ばれていることを知っている人は、意外と少ない。
「青年日本の歌」で知られている、楚の国の屈原が身を投げた中国は湖南省の汨羅の淵のある洞庭湖にそそぐ湘江の南方一体の景勝地を「湘南」と呼び、その地に似ていることから、そう呼ばれた。ちなみに、湘南とは、相模湾一体の沿岸地帯で、葉山、逗子、鎌倉、茅ヶ崎、大磯などで、三浦海岸は湘南とは呼ばない。
十二時前に、我が家着。カメラのデーターの整理や、パソコンの原稿のデーターを移したり、三時過ぎまで処理に追われた。
その後、清水常二氏に迎えに来て頂き、内田春雄氏らと中華街へ。大行社の新年会からの帰りに日本青年社の松尾会長や、全埼玉愛国連合の斉藤議長等が中華街に寄るとの事で、食事会を行った。本来は、昼間なので「安記」にでもと思ったが、人数が多かったので、定宿の「菜香」にした。五時近くに解散。そのまま自宅に戻った。
二日ぶりに、家族と一緒に食卓を囲み、疲れていたので、ブログの更新もせずに、早目に布団に入った。