白雲去来

蜷川正大の日々是口実

一人でなくて良かった。

2010-02-04 23:48:17 | インポート

二月三日(水)曇り。

 六時半に起きて、家族で朝食。何処の家でもそうだろうが、朝は、とても慌しい。毎日の事だと分かっていても、子供達は、朝になるとバタバタしている。下の子供は、いつまでも食事をしていたために、「朝連」に遅れるからと、ベソをかいているので、仕方ないので学校まで送って行った。八時を過ぎると、自宅にいるのは私だけである。

 コーヒーを淹れて、のんびり新聞を読み、今日一日のスケジュールを確認する。何も予定がない時の午前中は、掃除、洗濯など主婦業に精を出し、終われば、机に向かう。考えてみれば気楽な家業だ。

 昨夜だったか、偶然に見た、NHKだったと思うが、一人暮らしで、何処の誰だかも分からずに死んでゆく人が、年間に三万人を超えるという、番組を放送していた。それらの人を「行旅死亡人」と言うそうだ。

 例えば、住居にて遺体が発見された場合においても、身元不明の場合これに該当する。近年、他者や家族とのつながりが希薄になり、親族であっても連絡を取り合わないケースが多い。そのため、死亡時に本人の身元がはっきりわかるものを所持していても、親族がいないものと判断され、無縁墓地に埋葬されるケースもある。生涯未婚率の上昇、熟年離婚等も増加に拍車をかけているとのこと。

 それを国のせいにしているところが、NHKらしかったが、一人暮らしの「自由」とは、「孤独」の裏返しでもある。結婚や、家族関係の煩わしさから逃れて、生涯一人暮らしをしている人もいるだろうし、それが不幸かどうかは、その人にしか分からない。いやはや、暗い番組を見てしまった。一人暮らしでなくて良かったと、しみじみ思う。家族と言うものは、ありがたいものだ。

 夕食後は、獄中に座す、同志三名に手紙を書いた。無期が二人、八年が一人。何はともあれ、獄中での健康を願わざるを得ない。

 机の引き出しの奥から、私が二、三歳から小学校時代の低学年の頃の写真が数枚出てきた。母が、生前大事にしまっておいたものだ。母の遺品の中から出てきたもので、机の中にしまっまま、忘れていた。二十三、四の歳頃に、母と一緒に撮ったものもあった。今月の十七日は、亡き母の誕生日である。元気ならば今年で九十三歳となる。

3※小学校の、1、2年生の頃ですかね。左から二人目が私です。近所のガキ共の顔に見覚えはありますが、さすがに名前は覚えていません。横浜の南区の前里町と言う所に住んでいました。

Photo ※母と一緒に。私は二十歳ぐらいですかね。似てますか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする