二月四日(木)曇りのち晴れ。
昨夜、眠れぬまま、自宅の書棚にあった「阪田機関出動ス」(熊野三平著・展転社刊)を読んでいたら、面白くて、ますます眠れなくなり、気がつけば、白々と夜が明けかけていた。
朝飯の仕度だけをして、「起こさないで」という貼紙をして、寝た。クリーニング屋の来訪で起こされて時計を見れば十時半。まだ寝ていたかったが、お天道様と堅気の衆に申し訳ないので、エイヤッと布団から出た。誰も見ているわけではないのに、こんな時間に朝飯を食べるのは、少々気が引ける。お歳暮に頂いた、稲庭うどんを温麺にして、ボソッと食べた。
昼からは、頑張って、注文のあった本の発送や、機関誌の請求書を書いたり、購読依頼の手紙を書いたり、後ろ指を刺されない程度に仕事をした。二時過ぎに、事務所に荷物が届いているとの連絡が有り、行ってみると、野村先生がプロデュースした映画、「斬殺せよ」と゛「撃てばかげろう」がDVDとなり、以前注文しておいたものが届いていた。
今月の十四日は、野村先生の七十五回目の誕生日である。埼玉の正田秀幸氏らがご尽力なされ、雷電神社の境内に野村先生の句碑を作った。その雷電神社にて、近隣の一門が集い、野村先生の生誕祭を執り行う。その日に間に合って良かった。発売もとのN社長に感謝する次第です。
夕方のニュースでは、横綱の朝青龍が、不祥事の責任をとって引退するという報道があった。朝青龍の会見も見たが、チョットほろっとした。口さがない連中が、「やめて当然」とか、むしろ「遅いくらい」などと言っていたが、無責任な話だ。一体、その人たちは、朝青龍とどんな関わり合いがあるのだろうか。四、五日前も、朝青龍の土俵入りの祭に、「モンゴルへ帰れ」などという罵声を浴びせていた者がいたが、そんな奴に横綱の品位云々を言う資格はない。「品位」を問題にするならば、外国人力士も結構だが、それならば、日本生まれで、日本の教育を受けた者、に限れば良い。強ければ良い、といって外国人力士を多用してきた、相撲界の方に問題があると思うのだが。
相撲が国技ならば、歌舞伎も芸者も国技にすれば良い。出は皆一緒ではないのか。今や相撲は、プロレスやボクシングと行った、プロスポーツと同じように思えてならない。それで充分と私は思うのだが。
小沢一郎が不起訴となった。それで彼の罪が消えたわけではない。起訴されて、議員辞職でもされたら、天誅を下す価値がなくなる。議員だからこそ、不敬の罰を受ける意味がある。検察が見逃しても、日本人の良識が、アイツを許すわけはない。
自らケジメをつけて引退したモンゴル人の横綱と、子飼いの若い衆が三人も逮捕されたのに、恬として恥じることがないわが国の政治家。どちらが日本人らしいのだろうか。進退に窮したときは、武士は死ぬべきと論じたのは、「葉隠」である。どこかの幹事長に読ませたいものだ。
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