白雲去来

蜷川正大の日々是口実

虎狼の国。

2013-03-05 13:46:08 | インポート

三月四日(月)晴れ。

昨日詣でた板垣君のお墓のある三会寺には、支那事変や大東亜戦争で亡くなられた方のお墓が多くある。失礼とは思いながら墓誌を読むと、昭和二十年の六月に沖縄戦で亡くなられた陸軍の測量技師の方や、南方に赴く途中で潜水艦の魚雷で亡くなられた方、あるいは謎の爆発で沈んでしまった戦艦陸奥に乗艦していて、その爆発の際に亡くなられた方などのお墓があった。本でしか知らない歴史の証言者たちの、正に物言わぬ墓標である。しかし考えてみれば、お墓と言っても当然、そのお墓にご遺骨はなく、恐らく、出征の際に形見として置いて行った髪の毛や爪ぐらいなものだろう。それでも立派なお墓を建てて墓誌を刻んだご遺族の思いが感じられ、胸が熱くなった。今日の平和と繁栄があるのもこうした方々のご加護の賜物である。


連日、尖閣諸島周辺において中国の船が我が国の領海を犯している。「史記」の「蘇秦列伝」に、蘇秦が楚の国の威王に相対して秦の脅威について説く場面がある。蘇秦曰く、「ソレ秦ハ虎狼ノ国ナリ、天下ヨ呑ムノ心アリ」と。「虎狼の国」とは、他国を侵略して飽くことのない国をいう。どうやらその伝統は失われて無いらしい。


午前中から歯医者。終了後は、事務所に行き、郵便物や細々とした用事を済ませて、五時過ぎに帰宅。家族が全員揃った七時過ぎに夕食。今日は、おでんを肴に一杯。


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「桜田門外の変」と「経団連事件」の記念日。

2013-03-05 13:15:08 | インポート

三月三日(日)晴れ。

 今日はひな祭り。雛飾りの一番上にあるのが「内裏雛」。「内裏」と言うのは皇居の内で、両陛下の私的な部屋のことである。すなわち「内裏雛」というのは、天皇、皇后両陛下の形に似せた一対の人形を意味している。ご皇室に関心がなくとも、また反日の思想を持っている人でも、女の子がいれば、一度は雛人形を飾って娘の成長を祝ったに違いあるまい。このように日本人と皇室は意識しようがしまいが、常に一体なのである。

 

又、今日は安政七年に起きた「桜田門外の変」の日。今更、説明の必要はないだろうが、余り知られていないのが、襲われた際に伊井大老に付き従っていた家臣たちのその後。襲撃により、藩主である直弼以外に八名が死亡し(即死者四名、後に死亡した者四名)、十三名が負傷した。戦って亡くなった者の家には跡目相続が認められたが、二年後の一八六二年(文久二年)に、直弼の護衛に失敗し家名を辱めたとして、生存者に対する処分が下された。草刈鍬五郎など重傷者は減知の上、藩領だった下野国佐野(栃木県佐野市)に流され揚屋に幽閉される。軽傷者は全員切腹が命じられ、無傷の士卒は全員が斬首・家名断絶となった。処分は本人のみならず親族にも及んだ。

 

襲った水戸浪士側も複数人が死亡するか重傷を負って自害し、また数名を除いて自首して処刑さた。事件後幕府は徹底した捜索を行い、数年の内に逃走した水戸浪士ら数名を捕らえて処刑している。逃げ延びて明治を迎えたのは 十八人の内、増子金八と海後磋磯之介の二人だけである。吉村昭の「桜田門外の変」とその小説をもとにして製作された同名の映画を、この時期に読み、見ることも良いかもしれない。

 

更に、今日三月三日は、昭和五十二年に、恩師らが「財界の営利至上主義を撃つ」として、財界の総本山である「経団連会館」を同志らと共に襲撃占拠した、いわゆる「経団連事件」の日。平成九年の「経団連事件」の二十周年を記念して、「燃えよ祖国」の前身である「大悲ジャーナル」の第五十八号と五十九号において特集号を作った。五十八号では、事件の論評を特集し、五十九号では、裁判記録等を掲載した。いずれ合併して小冊子にしたいと思っている。

58※「経団連事件」の二十周年特集号。


この「経団連事件」から三十六年目の今日、平成の十八年に戦線復帰を目前にして、四十九歳と言う若さで肝臓癌で獄死した板垣哲雄君の墓参に行った。本当は明日が命日なのだが、色々な意味で日が良いこともあって今日にした。十一時に松本佳展君に迎えに来てもらい新横浜駅の近くにある古刹、三会寺へ行く。お寺で、志村馨君ご家族、自宅がすぐ近くの岩上賢先輩や私の友人氏らと待ち合わせてお墓へ。友人氏らが先にお墓をきれいに掃除しておいてくれた。線香を手向けて、ビールを供えた。

Dscf5415_2※「堅忍憂雄信士」板垣哲雄君のお墓。


終了後は、藤棚の「愛福楼」にて直会。佐伯氏が合流。二時間ほどで解散。夜は、佐伯氏と愚妻、アコチャンと一緒に久しぶりに「清水苑」にて夕食。


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趣味は商店街歩き。

2013-03-05 11:06:53 | インポート

三月二日(土)曇り。

ルポライターの田口宏睦さんから、新刊本の「改定・暴対法―変貌するヤクザと警察」(鹿砦社刊・1400+税)をご恵送頂いた。せめてもう半年前に発売されていたならば、もう少しインパクトがあったと思うのだが、それはそれで致し方ない。


九州では、警察の非力を隠ぺいするために、その負担を一般市民に押し付け、責任逃れをしようとしている。また、これまでの捜査方法や取り締まりの誤りや欠点を反省しようともせずに、法律を強化することによって言い訳を取り繕うとしている・・・ことの実態が、この本には良く描かれている。


田口さんとは、古いお付き合いをさせて頂いている。出会いは当然私への取材だったと記憶しているが、それが何の取材だったかは、失礼ながら失念してしまった。フリーのライターも、我々浪人と一緒で生きて行くのは大変である。しかし、使命感を持って頑張って頂きたいと陰ながら応援している。是非ご一読をお願いする次第です。

Photo


毎日、晩酌の肴を考えるのが楽しい。信じられないかもしれないが、私の趣味は「市場歩き」。下町の商店街や市場の雑踏の中を歩いていると、なぜか心が満たされるのである。そこに人々の生活があり活気に満ちている。最近は松原商店街か横浜橋商店街に行くが、調べて、他の町の商店街や市場を歩いて見たいと思っている。思いがけず古書店など見つけると嬉しさが倍増する。


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春一番が吹いた。

2013-03-05 10:31:38 | インポート

三月一日(金)晴れ。春一番。

 昭和七年の今日、満州国は建国を宣言した。二年後、満州国の溥儀が皇帝の座に着いた。その満州国は日本の敗戦と共に瓦解するが、戦後の歴史では満州国は日本の「傀儡」、あるいは「偽皇帝」などと非難されているが、元来満州人は中国人、いわゆる漢民族ではない。


ラストエンペラーの異名を持つ、清朝最後の皇帝が溥儀であったが、中国における清朝政権の打倒を目指して孫文らが起こしたのが辛亥革命。そのスローガンは「滅満興漢」であった。すなわち、満州族である清朝を滅ぼして、中国を漢民族の手に取り戻す、という意味である。

 

満州国において強い影響力を有した軍・財・官の五人の実力者がいた。「二キ三スケ」と言われた人で、まず、東条英機(関東軍参謀長)、星野直樹(満州国総務長官)、松岡洋右(満鉄総裁)、岸信介 (満州国産業部次長)、鮎川義介(日産財閥総帥)といった人たちである。岸信介は現在の安倍総理の祖父である。

 

こういった人たちが満州国建国の原動力となって、彼の地に五族協和(「五族」とは日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人を指す)をもって王道楽土の国家を作ろうと努力した。日本人が努力した満州国は、現在、侵略の象徴のように中国人や一部のあほな日本人から言われているが、その理想は決して間違いではなく、いつの日か評価されるに違いないと思っている。まあ難しい話はメンドクサイが、いつかその土地を訪れてみたいものだ。


「大吼」の編集作業が佳境に入った。今回は、講演録の掲載が多く、國の子評論の横山孝平氏にご苦労をかけている。普段の原稿とは違って、テープ起こし、校正と二倍時間がかかる。締切に間に合うか、いつもヒヤヒヤものである。


春一番が吹いて、我が陋屋が揺れている。しかしこの歳にもなれば、気候も酒の肴にする余裕もある。余裕のないのは懐具合だけだ。そんな訳で酔狂亭で月下独酌。

 


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