三月十日(日)晴れ。陸軍記念日。
今日は明治三十八年(1905)三月十日に、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した武勲輝ける日である。この日を祭日として、陸上自衛隊に記念行事でも行って貰いたいものだ。
今日も、朝から「大吼」の編集で一日パソコンに向かっていた。あともう少しである。作業は大変だが、完成した時の感激と喜びは、雑誌を作ったことのある者しか分からないことである。機関誌や雑誌を作る人たちは多い。しかし、ほとんどが続かない。続かないと言う理由は、人それぞれであろうが、共通するのは資金である。まずこれが大変である。印刷費や製本代に発送費。続けているうちにこの経費が、家計に重くのしかかってくる。送っているほとんどが贈呈だし、同じ運動仲間には申し訳なくて振込用紙など送れない。ほとんど使命感のみで発行している。
次に、続けて行けない理由に「反応がない」。ということがある。勝手に送っているのだから、相手が読んでいるのかどうか分からない。感謝の手紙も来なければ、読者からの感想も聞けない。そのうちに「何のために」という疑問がわいてきて、結局、やめてしまうのである。
郵便局から発送している時は、まず印刷する紙の枚数や封筒の重さを量って百四十円を超えないようにしていた。多い時で八百部以上送っていたから郵送費だけで毎月十万円もかかっていた。今はメール便となって重さは気にしなくても良くなったが以前は大変だった。郵便局への支払いが「切手」でも大丈夫と教えられて、金券ショップを回って、より値引き率の良い切手を買って支払いをした。十五パーセントも安くなれば、それだけで一万五千円も経費が浮く。
本当に、以前は、機関誌を発行するために生活をしていたと言っても過言ではない。今は、外注をやめて機械化し、自分たちで作れるようになったが、それでも大変である。従って、応援して頂いている読者の方々には、本当に感謝をしている。頑張って良い物を作らなければと思っている。
その昔、といっても終戦直後に、「カストリ雑誌」というものが巷に氾濫した。安い紙に印刷されたエロ、グロの内容の物がほとんどで、当局の摘発もあったが、あまりにも内容が粗悪なのですぐに廃刊となった。終戦直後、物資がなく、酒も合成酒のような物が多かった。その酒はアルコールの度数が強く、二合や三合も飲むと酔いつぶれてしまった。だから、せっかく発行しても二号や三号でつぶれてしまう雑誌を「カストリ雑誌」と言うようになったのである。
私の発行している「燃えよ祖国」は、最新号で一九四号となる。カストリの汚名からは脱したが、二百号に向かって鋭意、努力している。それが私の運動だからである。
久しぶりに休肝日とした。