白雲去来

蜷川正大の日々是口実

カストリ雑誌から脱したが・・・。

2013-03-11 11:56:14 | インポート

三月十日(日)晴れ。陸軍記念日。

今日は明治三十八年(1905)三月十日に、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した武勲輝ける日である。この日を祭日として、陸上自衛隊に記念行事でも行って貰いたいものだ。


今日も、朝から「大吼」の編集で一日パソコンに向かっていた。あともう少しである。作業は大変だが、完成した時の感激と喜びは、雑誌を作ったことのある者しか分からないことである。機関誌や雑誌を作る人たちは多い。しかし、ほとんどが続かない。続かないと言う理由は、人それぞれであろうが、共通するのは資金である。まずこれが大変である。印刷費や製本代に発送費。続けているうちにこの経費が、家計に重くのしかかってくる。送っているほとんどが贈呈だし、同じ運動仲間には申し訳なくて振込用紙など送れない。ほとんど使命感のみで発行している。


次に、続けて行けない理由に「反応がない」。ということがある。勝手に送っているのだから、相手が読んでいるのかどうか分からない。感謝の手紙も来なければ、読者からの感想も聞けない。そのうちに「何のために」という疑問がわいてきて、結局、やめてしまうのである。


郵便局から発送している時は、まず印刷する紙の枚数や封筒の重さを量って百四十円を超えないようにしていた。多い時で八百部以上送っていたから郵送費だけで毎月十万円もかかっていた。今はメール便となって重さは気にしなくても良くなったが以前は大変だった。郵便局への支払いが「切手」でも大丈夫と教えられて、金券ショップを回って、より値引き率の良い切手を買って支払いをした。十五パーセントも安くなれば、それだけで一万五千円も経費が浮く。


本当に、以前は、機関誌を発行するために生活をしていたと言っても過言ではない。今は、外注をやめて機械化し、自分たちで作れるようになったが、それでも大変である。従って、応援して頂いている読者の方々には、本当に感謝をしている。頑張って良い物を作らなければと思っている。


その昔、といっても終戦直後に、「カストリ雑誌」というものが巷に氾濫した。安い紙に印刷されたエロ、グロの内容の物がほとんどで、当局の摘発もあったが、あまりにも内容が粗悪なのですぐに廃刊となった。終戦直後、物資がなく、酒も合成酒のような物が多かった。その酒はアルコールの度数が強く、二合や三合も飲むと酔いつぶれてしまった。だから、せっかく発行しても二号や三号でつぶれてしまう雑誌を「カストリ雑誌」と言うようになったのである。


私の発行している「燃えよ祖国」は、最新号で一九四号となる。カストリの汚名からは脱したが、二百号に向かって鋭意、努力している。それが私の運動だからである。


久しぶりに休肝日とした。


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一日PCで仕事。

2013-03-11 10:46:35 | インポート

三月九日(土)晴れ。

朝から、強風。花粉に、PM2・5にその他の有害物質が、これでもか、これでもかというように飛んでいて、家の中にいても目がしょぼしょぼする。といっても我が家で花粉で苦しんでいるのは私一人である。


土曜日ということで、家族は全員家にいる。上の子供は試験とかで、六時前に起きて来て勉強している。まったく誰に似たのか・・・。私は、小学校から高校まで、自宅で教科書なんか開いたことがなかった。高校の時など、教科書は部室に置きっぱなしで、使用しないから新品のままだった。「陸上部は、勉強なんかしなくていいんだ。それより試合で頑張れ」と言われ、数学の試験も三五点以下だと「赤点」で残されて追試を受けなければならない。ちょうど数学の先生が陸上部の監督だったので、追試にならないようにギリギリの点で答案を帰してくれた。今思えばおおらかな時代だった。


下の子供は、寝るのが趣味で、起こさないといつまでも寝ている。一度、愚妻と、何時まで寝ているのか、起こさずにいよう。とそのままにしていた。何と、起きてきたのは夕方の五時過ぎだった。愚妻曰く、昨日一緒に寝たんだから、それからまだ起きていたの?子供いわく「ううん寝たよ」。二十時間近くも目が覚めないんだから、それはそれで大したものか。開口一番「お腹がすいた」。これには皆で大笑い。


「大吼」の編集が佳境に入り、修羅場を演じている。朝食後から、ずっーと仕事。当然、一歩も外に出ることなく、パソコンと格闘していた。


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中国大変、日本迷惑。

2013-03-11 10:21:50 | インポート

三月八日(金)晴れ。

 相変わらず花粉で体調が悪い。杉の木のことは分からないが、この時期になる前に木の剪定をするか何かできないものだろうか。それほど難しいようには思えないのだが。

 

午後から打ち合わせのために東京行き。二時間ほど打ち合わせをしたのちに、楽しみにしていた一杯。本当は、「駒形どぜう」に行くつもりだったのだが、あいにくお店は満席で、何時になるか分からないとのことで、残念ながら、近くの蕎麦屋に移動。しばらく飲んでから、寿司屋に転戦して最終電車に間に合うように帰宅。


関東の人たちには余り馴染みのない言葉だが、長崎周辺の人たちなら誰でも知っているのが、「嶋原大変、肥後迷惑」と言う言葉である。この言葉は、 一七九二年五月二一日(寛政四年四月一日)に肥前国島原(現在の長崎県)でおこった雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因して島原や対岸の肥後国(現在の熊本県)を襲った津波(肥後迷惑)による災害である。その雲仙岳の噴火で、対岸の肥後に被害が発生したことをいう言葉である。


さしずめ現代なら、中国から嫌がらせのように黄砂や有害物質のPM2・5が毎年飛来してきて中国大変、日本迷惑であろう。街頭や駅で配っている無料のティッシュが有難い。


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