白雲去来

蜷川正大の日々是口実

荒涼ではなかった校了しました。

2013-03-13 10:18:33 | インポート

三月十一日(月)晴れ。

あの東北の大震災から二年目。亡くなられた方々には三回忌となる。この震災は、様々な意味で日本と日本人に対して危機管理と言うものを再認識する結果となった。しかし、マスコミが騒いでいるのを見ると何か白々しさを感じてしまう。各市町村の大多数は「震災瓦礫」や「焼却灰」の受け入れを拒否しているし、何が「絆」なのか聞いて呆れてしまう。神奈川県では横須賀市もそうだ。同じ県民として恥ずかしい。もっと法律を整備して、こういった非常時には、強制的に受け入れさせるようなことをさせればいいと思ってしまう。


二年前のあの日は、後輩の結婚式に出るために札幌にいた。地震のあった時間には、車で移動中で、運転をしていた山本和也氏が「何か車が揺れているような感じがしますが、地震ですかね」と言うので、「君は太っているのでめまいでもしたんじゃないの」などと軽口をきいていた。


狸小路に屋台村のような所が出来て、そこに厚岸の牡蠣を食べさせる店があるというので、昼食を兼ねて行った。しかし店に入ると、何か様子が変で、周りの店のお客さんがテーブルに着かずに、店の中央にある大型テレビの周りに集まっている。何かと思って私たちもテレビを見ると、ちょうど津波が町を襲っている場面が映し出されていた。札幌、それも車に乗っていたので地震の揺れをほとんど感じていなかったので、一瞬、何処の町の映像か分からなかった。


そのうちに、テロップで各地の被害の様子が次々と入ってくる。横浜もマンションの壁が崩れ落ちたり、かなりの被害が出ている様子だ。慌てて自宅や家族に連絡を取るが、全く携帯が通じない。札幌からすぐに引き返そうかとも思ったが、空港にも電話が通じないのである。夕方になってようやく家族の無事が確認されてホツトしたが、その日はホテルでテレビばかり見ていた。


あれから二年か。頑張れと願うばかりで、何一つお役に立つことはしていないが、被災者の皆さんに、早く昔のように平穏な日々が来ますように。


ようやく「大吼」の編集作業が終わった。印刷屋やデータの処理の会社が変わり、今までと違って、全て私の方でやらなければならない。以前であれば、出来た原稿の順に、データーを送くり、その都度校正をしていたが、新しい所は、PDFで完全な形、つまり印刷するだけの段階にして送らなければならないのだ。校正もこちらですべてやらなければならないのだから、とても気を遣う。細かい直しは明日にして、とりあえず校了した。お疲れ様でした。いや、愚妻と自分にです。


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