十月一日(水)雨。
朝食は、赤ウインナー、マルシンのハンバーグ、目玉焼きにキャベツの千切り。ウォーキングに出ようかとも思ったが、外はあいにくの雨。なぜかホッとしてしまう自分がいる。ジョギングもウォーキングも楽しんでやらないと続かない。
今日は、夜にお世話になっている現代アートのディレクターであり、ミズマ・アートギャラリーを主宰している三潴末雄さんが幻冬舎より「アートにとって価値とは何か」という本を上梓され、その出版記念会が行われ、出席した。
三潴さんとの出会いは、今から三十年以上前の選挙で新自由クラブから立候補した工藤晃氏の手伝いをした時に、選挙アドバイザーとして来ていた三潴さんと知り合った。その後、三潴さんが私の道の兄であった元楯の会の故阿部勉さんともお付き合いがあることを知り、親交が深まった。親交と言っても阿部さんが酒代欲しさに、どこからか持って来た掛け軸を法外な値段で三潴さんに買って貰ったり、カンパをして頂いたりで、こちらはお世話になりっぱなしのお付き合いだ。
出版記念会は、ミヅマ・アートギャラリーで行われたが、二百人を超える人たちが出席したが、私は三潴さん以外に誰一人として知っている人はいない。手持無沙汰で、かつ混み合って来たので二十分ぐらいでお暇した。
帰りの車中で頂いた本を読んでみたが、「アート」について書かれた部分の半分くらいは理解の外だったが、第二章の三潴さんの自分史にはとても感動した。学生時代はブントの活動家であった三潴さんは、様々な葛藤の末に運動から離れるが、文中にドキッとする言葉があった。
「あさま山荘事件などを経て、新左翼的な運動に対する社会の理解は決定的に失われてしまっていた。こうなると、闘争への関わりは単なる前科でしかない」。と言うものだ。それは、今日、右翼・民族派の活動をしている我々にも当てはまるかもしれない。
例の「暴排条例」によって今まで応援をして頂いた企業や個人事業者からひとくくりにされて、支援が受けにくくなった。こうなると、過去の過激な運動歴などは、三潴さんが言うように「単なる前科」でしかない。しかし生活が苦しいからと言って、生き方を変えるわけには行かない。先に逝った人たちのためにも。
横浜駅で降りて、「やまと」へ寄り夕食代わりに一杯。店のお馴染みさんと談笑しつつ一時間ほどで帰宅。