白雲去来

蜷川正大の日々是口実

石原慎太郎氏の記事は、少し無責任かなと思った。

2014-10-04 18:59:41 | インポート

十月二日(木)曇り。

冷ご飯が沢山残っているので、一人土鍋でおじやを作って食べた。午前中に「アサヒ芸能」から、今回の朝日の問題に関して「電話取材」を受ける。大して勉強もしていないので、私などで良いのかと思ってしまう。有難うございました。

現在発売されている『週刊新潮』(10月9日号)に石原慎太郎氏が「国を貶めて新聞を売った『朝日』の罪と罰」という物を書いている。その中に野村先生に触れている所があるので、その部分に限って転載してみる。

「私と親しかった右翼活動家の野村秋介さんが、朝日新聞東京本社に乗り込んだ事件がありました。九十三年十月のことで、当時の中江利忠社長らに説教して謝罪させたあと、社長の目の前で自分のわき腹に向けて拳銃を放ち、自殺してしまいました。   
 私は通夜に行って、「野村なんでこんな死に方をしたんだ、なんで相手と刺し違わなかったんだ」と言いました。彼は朝日新聞に対して、命がけで決肴をつけるべきだったのです。そうすれば、彼らはもう少しまともな会社になっていたのではないか。朝日が国を売った慰安婦報道をひっくり返した今、なおさらそう思います。
 朝日新聞は、これだけ国家と民族を辱めました。彼らがやったことは国家を殺すのと同じことで、国家を殺すというのは、同胞民族を殺すことと同じです。彼らはいつもああいうマソヒズム的な姿勢をとることで、エクスタシーを感じているのかもしれませんが、朝日の木村伊量社長は、世が世なら腹を切って死ななけれぱならないはずだ。彼らの責任はそれくらい重いと思います。三島由紀夫は生前、『健全なテロがないかぎり、健全な民主主義は育たない』と言いました。私は、これにはパラドックスとして正しい面があると思います。
 野村秋介は六十三年に、当時建設大臣だった河野一郎邸に火をつけました。河野は代議士になる前は朝日新聞の記者で、典型的な売国奴のような男でしたが、那須の御用邸に隣接する上地を持っていて、御用邸との境界線争いが起きたとき、境界をうやむやにするために雑木林に火をつけさせたといわれた。
 それで御用邸の森の一部も燃えてしまい、泉も涸れてしまい、天皇陛下も大変悲しまれました。そのことが右翼全体の怒りを招き、結局、児玉誉士夫が騒ぎを収めたのですが、野村はそれでは納得できず、河野邸を燃やしたのです。
 野村はそれで十二年間、刑務所に入りました。もちろん放火という行為は推奨できないが、命懸けだった。少なくとも昔の言論人は命懸けで、最近、そういう志の高い右翼はまったくいなくなりました。今は、朝日が何をしようと安穏と過ごせる、結局うやむやにして過ごせる時代です。」。

Photo ※『週刊新潮』の記事。

石原氏が野村先生の行為をどうとらえるかは勝手であるが、「なぜ殺さなかった」は、あまりにも無責任な発言ではないだろうか。そう思ったならば自分がやれば良いだけの話だ。ご高齢で、もう余り現世に未練もないことと思うので、三島、野村両烈士の後に続いたらいかが、と思うのは私だけだろうか。まっいいか。

夜は、友人がたっぷりの刺身を持って来訪。秋の夜長、ほろほろと飲んだ。


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