十月十四日(火)晴れ。
未明の台風の通過で、我が陋屋が揺れて家族は怖かったと言っていたが、私は「黒霧島」のお蔭で白河夜船(しらかわよぶね=熟睡して前後を知らないこと)。起きた時は、台風は去っていて、一過、晴天ではあるが、秋深し。この「秋深し」であるが、実は夏にも春にも冬にも、それぞれ「深し」がある。しかし、やはり「秋深し」が詩的で、何かもの悲しさが漂うようでいい。
朝食は、アコウダイの粕漬け、納豆、竹輪のてんぷらに豆腐の味噌汁。食後は、倉庫代、紙代、印刷機のインク代の支払い。お金のことを「御足」とは良く言ったものだ。ふぅーっとため息が出る。
新幹線が出来てから五十年らしい。初代の「こだま」に乗る機会はなかった。五十年前は中学の二年生だったが、その年、修学旅行で京都に行ったが、横浜駅の東口に集合して、普通の貸切の電車で行った。新幹線に初めて乗ったのは二十歳を過ぎた頃だった。大磯の小早川貞夫先生のお供で、大阪で行われた日本皇民党の結成式に行った時に新横浜から乗車した。以来、この歳になるまで数えきれないほど新幹線に乗ったが、初代の「こだま」に乗れなかったのが悔やまれる。
今日、十四日は「鉄道記念日」。明治五年、新橋、横浜間に鉄道が開業した。東海道線の第一号である。当時は「岡蒸気」と呼ばれたその鉄道は、「汽笛一声新橋を、はやわが汽車は離れたり。愛宕の山に入り残る、月を旅路の友として」海岸沿いを走った。と「歳時記」にある。
電車の旅は好きだが、海外で電車に乗ったことはほとんどない。香港の地下鉄とバンコクのモノレールくらいか。どこかの国に行く機会があったならば、こんどは電車に乗ってみようと思っている。
夜は、良い秋刀魚を仕入れたので、塩焼きとてんぷらにして月下独酌。