十月十一日(土)晴れ。
今日は、私が道の兄と慕った元楯の会の阿部勉さんと、「ロス疑惑」で有名な三浦和義さんのご命日である。阿部さんは平成十一年に五十三歳という若さで亡くなられた。辞世ではないが、平成十年に、共同出版した歌集「国風(くにぶり)」(展転社)の中で詠んだ「春も酒」と題した歌が、今では阿部さんの辞世のように膾炙されている。
われ死なば火にはくぶるな「栄川」の二級に浸して土に埋めよ。
三浦和義さんとは、私がある事件を起こして東京拘置所にいる時に文通をしていた。連合赤軍の植垣康博さんも同時期に東拘にいて色々と中での過ごし方などをアドバイスして頂いた。出所なされた三浦さんが「群青忌」に出席して以来、様々な場所で一緒になった。そう言えば、松山の矢野隆三さんを訪ねて、一緒にお祭りを見に行ったこともあった。最後の旅行はサイパン。そのサイパンで拘束されるとは思わなかった。面会に行ったことなどが懐かしく思い出される。脚本家の河村シゲルさんが企画して開催していた代官山のライブハウスでの三浦さんとのトークショーに私も出たことがある。ゲストとして来た人たちと三浦さんの対談形式のトークショーが一冊の本になったこともあった。
平成の二十年に移送されたロスで謎の死を遂げた。今日はご命日で七回忌となる。その法要に出席するためにお墓のある平塚に行った。同行の人たちとの待ち合わせの時間を一時間間違えてしまい、仕方なく「七夕祭り」で有名な商店街を散策してみた。知らない街へ行くと古書店に入るのが楽しみの一つだが、残念ながら見当たらなかった。驚いたのは、その商店街の周りにはパチンコ屋が一軒もないことだ。良いことだ。
十二時過ぎに、脚本家の河村シゲルさんや冤罪をなくすために尽力をしている今井恭平さん、映画監督の山際永三さんや自らの冤罪で戦った福井雅樹さんなどと合流。一時から法要。その後墓所で手を合わせてから直会。三浦さんの弁護を担当した、弘中淳一郎弁護士が挨拶と献杯の後に、久しぶりの人たちとの懇親。