白雲去来

蜷川正大の日々是口実

復た呉下の阿蒙にあらず。

2017-08-04 16:52:01 | 日記
七月三十一日(月)晴れ。

七月も今日でおしまい。といっても毎月、月が替わるたびにこんな感慨が湧くのも歳のせいかもしれない。下の子供が夏休みでのんびりしている。朝食をとらずに、早めに昼食を食べに馬車道に出かけた。以前、友人に連れて行って頂いた「サモワール」と言うお店。オムライスが美味しいことで有名らしい。子供をつれていそいそと言ったが、ランチのオムライスは、「イカスミのオムライス」とのこと。うーんやめて、二人ともハンバーグにした。夜は、月に一度の町内の仲良しさんたちとの食事会。場所は「たつ屋」というラーメン屋さん。少し飲んでから、京急の井土ヶ谷駅近くのスナックに転戦。十時過ぎに帰宅。

現在発売中の『週刊新潮』に今井絵里子のスキャンダル記事が掲載されている。まあこんな時に、脇が甘いと言おうか、常識に欠けていると言おうか、呆れているのは、私だけではあるまい。その今井絵里子に関して、育ての親?と言われる沖縄アクターズスクール校長の牧野正幸氏がこういうコメントを寄せている。

「子どもなんですよ。何も考えていないと思います」と手厳しいのは、歌手としての今井議員の「育ての親」で沖縄アクターズスクール校長の牧野正幸氏である。「議員になるレベルの子じやないんですから。彼女は4~5歳でスクールに入って、12歳でデビューして、売れて。プロダクションも周りも寄ってたかって守ってくれて、何の苦労も、勉強もしていないんです。そんな風にのせられてきた子が、安倍におだてられて議員になっちゃって、こんなことを起こしてしまった。起こるべくして起こったんです。そもそも議員というステージに出たことが間違い。それをわかっていて、票稼ぎのために、今井を議員にしてしまった安倍が一番悪いよ」。

これはちょっとひどいと思った。彼女を政治家に推薦したのは、安倍総理ではなく、聴覚障害者教育福祉協会会長でもある山東昭子であることは知られている。また、「育ての親」を自称する、牧野氏は、大人になった今井絵理子と常に会っていたのだろうか。私に言わせれば、年端もいかない子供たちにケツを振らせてくだらん芸を仕込んで世に出すことだって、正直言ってまともな仕事とは、私には思えない。そう言うことを仕込むと同に、人として大切なことも教えるべきではないかと思う。沖縄アクターズスクール校長の牧野氏は、自ら育てた人の中に、政治家までになった人が出たことを、むしろ誇るべきではないだろうか。教え子を批判することは、そのまま天に唾することと同義語であると言うことを知った方が良い。

「男子三日会わざれば、括目して見よ」という諺がある。三国志の時代、呉の国に、呂蒙という勇猛な武将がいた。呂蒙はその無鉄砲とも言える勇猛さで、呉の国はおろか他の二国、魏や蜀にもその名が響いていた。その一方呂蒙は無学だったので、君主の孫権が少しは学問を学び、人間の幅を広げるよう呂蒙に諭した。それから時が流れて、呉の国有数の知将魯粛が、前線司令官として赴任する途中に呂蒙を訪ねた。呂蒙は、魯粛の赴任先の正面に、当時中国で最強と言われた蜀の関羽将軍が指揮官として居ると聞いて、関羽の性格を分析し、適切な献策をした。呂蒙は学問に励み、いつしか勇に智が伴う武将になっていたのだ。 武骨な呂蒙しか知らない魯粛は驚き、「いつまでも、呉の城下を走り回っていた蒙ちゃんと言う訳ではないなぁ(復た呉下の阿蒙にあらず)。」と言ったところ、呂蒙は、「士別れて三日なれば刮目して相待すべし。」と言った。

私は、何も今井絵里子を支持したり、応援している訳ではない。ただタレントだから、芸人だからと言って政治家としては駄目だ、と言うのは偏見だと思う。大学を出て、政治家の子供だけが、政治家になれると言うのは、果たして日本と日本人にとって良いことなのだろうか。今井も、これをきっかけに、大いに反省して、政務に励んでほしいと思っている。そして、いずれ沖縄及び北方対策担当大臣として活躍し、「呉下の阿蒙にあらず」と、「育ての親」を見返してやればいい。

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