白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ついに日本人選手が九秒台。

2017-09-12 13:45:47 | 日記
九月十一日(月)晴れ後曇り。

良い天気である。朝から上の子供と二人っきり。下の子供は友達と、京都大阪への旅行に出かけている。愚妻は、仕事。全く大学と言うのは夏休みが長くて困る。その分、授業料をまけてくれないのだから、どうも納得が行かない。子供と二人きりの朝食は、コロッケ、プレスハム二枚、薄切りベーコン二枚に目玉焼き、ナスの味噌汁。昼は、焼きそばパン一個。(私は好きだが、家族は誰も食べない。ローソンのが美味しい)。夜は、名前だけ真面目な「蜷川政経懇」。同級生の経営する野毛の「弥平」にて。その後有志にて関内の「HIRO」に転戦。「キーボックス」というイタメシ屋にて〆。

桐生祥秀が、日本人で初めて百メートルで十秒を切った。昭和三十九年の東京オリンピックには、日本代表として飯島秀雄が出場した。「暁の超特急」と言われた吉岡隆徳の指導を受け、当時の日本記録十秒一を出した。私は、オリンピック後、小田原で行われた実業団の大会を見に行った折に、百メートルに出場した飯島秀雄を見た。やはりオリンピックに出場した横溝三郎先輩と共にサインを貰った記憶があるが、そのサイン帖は何処へ行ったのだろうか。

飯島秀雄が注目されたのは、中学時代に出場した「放送陸上」である。その放送陸上とは、各都道府県の陸上競技場で行われ、結果が集計され各種目ごとに全国順位がつく。全日本中学校陸上競技選手権大会の都道府県予選会としての役割も持つものである。実は、私も中学時代に一度だけ出たことがある。結果は、ベロンだったが、確か「母が聞いてるラジオで競え、全日本の中学陸上」という歌が流れたと記憶しているが、PCで検索したが見つからない。私の記憶違いだろうか。

桐生が、ついに九秒台に突入した。これが刺激になって、次々と他の日本選手も十秒の壁を破るに違いない。しかし、オリンピックのファイナリストになるのには、百メートルを十回走って、三回ぐらいは九秒台で走る実力をつけなければ、難しいと思う。桐生の九秒台も嬉しいが、私としては、男子マラソンが、かつての栄光を取り戻してもらいたいと思っている。

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