九月四日(月)雨後曇り。
手紙の常套句ではないが、朝晩めっきりと寒くなった。夏掛け一枚では寒くて仕方がないので、毛布を掛けて寝てている。夜中にトイレに行きたくて目が覚める。枕もとの時計を見ると、大体いつも四時半ごろだ。ああまだ一時間半寝ていられるとチョット安心する。六時になると、バーミキュラ(炊飯器です)から、ご飯が炊けましたょー、と知らせがある。バーミキュラには保温機能がないので、保温器にご飯を移す。子供たちは夏休みなのでのんびりしているが、学校が始まると、六時半から、我が家の朝食・弁当戦争が始まる。
トイレから戻ってまた寝るが、この時、眠りが浅いのか、夢を見ることが多い。どんな夢だったのかは、覚えていることは少ないのだが、嫌な夢、いやな奴が出る夢を見ると、目が覚めてから、少々ブルーになる。反対に楽しい夢だと、今日は何か良いことがありそうと、元気になる。まあ安上がりにできている。
朝食は、昨日、お墓参りに行った帰りに買った、伊勢原の「寿雀卵」(この卵は、人気があり、午後に行くと売り切れていることが多い。友達のナリポンから始めて頂いて知った。MSサイズ十個で三百十円)を水戸納豆に入れたもの、熱海産のアジの干物、青森は十三湖産のシジミの味噌汁。昼は、塩おにぎり一個。夜は、昨日に続き「角平」で一献。
先月に続き、岐阜の花房東洋先輩来訪。先輩がプロデュースした、浅田次郎原作の「輪違屋糸里」の映画の打ち合わせで、東京に滞在していたらしい。夕方に、「角平」で待ち合わせて、マナー違反とは分かっているが、「蕎麦前」で延々飲んだ。もちろん「そば焼酎」の「そば湯割り」。
そんな飲み方を教えて頂いたのは、やはり花房先輩で、もう三十年くらい前のこと。場所は岐阜の蕎麦の名店「吉祥庵」だった。亡くなられた陶芸家の服部愛山先生も一緒だった。そば湯割りは、立ち食いに毛の生えた店ではやらない。どうもそば湯に難があるような気がして。その後、サリーズバーに転戦。十時過ぎに帰宅。
手紙の常套句ではないが、朝晩めっきりと寒くなった。夏掛け一枚では寒くて仕方がないので、毛布を掛けて寝てている。夜中にトイレに行きたくて目が覚める。枕もとの時計を見ると、大体いつも四時半ごろだ。ああまだ一時間半寝ていられるとチョット安心する。六時になると、バーミキュラ(炊飯器です)から、ご飯が炊けましたょー、と知らせがある。バーミキュラには保温機能がないので、保温器にご飯を移す。子供たちは夏休みなのでのんびりしているが、学校が始まると、六時半から、我が家の朝食・弁当戦争が始まる。
トイレから戻ってまた寝るが、この時、眠りが浅いのか、夢を見ることが多い。どんな夢だったのかは、覚えていることは少ないのだが、嫌な夢、いやな奴が出る夢を見ると、目が覚めてから、少々ブルーになる。反対に楽しい夢だと、今日は何か良いことがありそうと、元気になる。まあ安上がりにできている。
朝食は、昨日、お墓参りに行った帰りに買った、伊勢原の「寿雀卵」(この卵は、人気があり、午後に行くと売り切れていることが多い。友達のナリポンから始めて頂いて知った。MSサイズ十個で三百十円)を水戸納豆に入れたもの、熱海産のアジの干物、青森は十三湖産のシジミの味噌汁。昼は、塩おにぎり一個。夜は、昨日に続き「角平」で一献。
先月に続き、岐阜の花房東洋先輩来訪。先輩がプロデュースした、浅田次郎原作の「輪違屋糸里」の映画の打ち合わせで、東京に滞在していたらしい。夕方に、「角平」で待ち合わせて、マナー違反とは分かっているが、「蕎麦前」で延々飲んだ。もちろん「そば焼酎」の「そば湯割り」。
そんな飲み方を教えて頂いたのは、やはり花房先輩で、もう三十年くらい前のこと。場所は岐阜の蕎麦の名店「吉祥庵」だった。亡くなられた陶芸家の服部愛山先生も一緒だった。そば湯割りは、立ち食いに毛の生えた店ではやらない。どうもそば湯に難があるような気がして。その後、サリーズバーに転戦。十時過ぎに帰宅。