十月十二日(金)曇り。
忙しいことを言い訳にぼやーっとしていると、あっという間にブログの更新が滞ってしまう。忙しいから、といっても食事はしっかりとる。朝は、秋刀魚の明太子はさみ焼き、納豆、豆腐の味噌汁。昼は、伊勢佐木町にある「カレーラーメン」の「太源」にて、「メンマ・ワンタンメン」。このお店に来たのは、もう三十年以上も前のことだ。夜は、冷凍のカツオ。今年は、何でも「海水の温度が高い」とかで、「そごう」などでは「アニサキス」の心配があるそうで、生のカツオが無い。ずっーと冷凍ものばかりである。それでも、最近行きつけのイタ飯屋の「オアジ」で教わった「オリーブオイル」にきざみネギ、ニンニク、そして岩塩で食べているが、中々良い。そろそろカツオの時期も終わりだし来年に期待するか。
新聞の書評で知った『語り継ぐ横浜海軍航空隊』(大島幹雄著・有隣堂新書)を買った。横浜の富岡と言う所にかつて海軍の飛行艇専用の基地があった。もちろん私は、そんなことを知らなかった。子供の頃に、その富岡海岸に海の中に続いている滑走路があり、そこで泳いだ記憶がある。本の内容もとても勉強になり素晴らしいが、本を書いた戦後生まれの人が、なぜ飛行艇専用の「横浜海軍航空隊」に興味を持ったのか。
きっかけとなったのは、その人のジョギングコースである「富岡総合公園」でのこと。そこは桜の名所である。(といっても私は行ったことはないが)花見客でにぎわう公園を散策している時、「いつのことだったかははっきりと覚えていないのだが、桜が満開の日曜日に、花見客でにぎわう一画から少し離れたところで、花見客とは明らかにちがう集団と出くわした。あれは何だったのか気になり、翌週の週末ジョギングの途中にそこに寄って、中に入ってみた。細長い参道のような道を進むと、小さな碑が建っていた。そこには富岡総合公園の桜の由来が刻まれていた。『桜の由来。この桜は昭和十一年十月横浜海軍航空隊がこの地に開隊された時隊員の手で植樹され大切に育てられたものである。年々歳々花変らねど 征きて還らぬ戦友多かりき。横浜海軍航空隊、略称は浜空。海軍といえば横須賀。横浜に海軍あった? しかも航空隊。『桜の由来』の碑の左には『浜空神社の由来』という碑があり、かつてここに神社があったこと、そして飛行艇の一大基地があったことを教えてくれる」。
ふと、今月二十日の「群青忌」のことが浮かんだ。野村先生の思想と行動を風化させないために続けている慰霊祭の「群青忌」。つづけていればこそ、もしかしたら『語り継ぐ横浜海軍航空隊』を書いた人のような方が出るかもしれない。我々門下生の他に、野村先生のことを語り継いでくれる人が・・・。ということにまず惹かれて購入したのである。本は、あまり知られていなかった「飛行艇」と地元にスポットを当てた歴史書でもある。良い本と出会ったと喜んでいる。かつて、盟友と訪れた鹿児島の鹿屋基地に展示されていた旧海軍の二式飛行艇一二型<を見たことを思い出した。/strong>
忙しいことを言い訳にぼやーっとしていると、あっという間にブログの更新が滞ってしまう。忙しいから、といっても食事はしっかりとる。朝は、秋刀魚の明太子はさみ焼き、納豆、豆腐の味噌汁。昼は、伊勢佐木町にある「カレーラーメン」の「太源」にて、「メンマ・ワンタンメン」。このお店に来たのは、もう三十年以上も前のことだ。夜は、冷凍のカツオ。今年は、何でも「海水の温度が高い」とかで、「そごう」などでは「アニサキス」の心配があるそうで、生のカツオが無い。ずっーと冷凍ものばかりである。それでも、最近行きつけのイタ飯屋の「オアジ」で教わった「オリーブオイル」にきざみネギ、ニンニク、そして岩塩で食べているが、中々良い。そろそろカツオの時期も終わりだし来年に期待するか。
新聞の書評で知った『語り継ぐ横浜海軍航空隊』(大島幹雄著・有隣堂新書)を買った。横浜の富岡と言う所にかつて海軍の飛行艇専用の基地があった。もちろん私は、そんなことを知らなかった。子供の頃に、その富岡海岸に海の中に続いている滑走路があり、そこで泳いだ記憶がある。本の内容もとても勉強になり素晴らしいが、本を書いた戦後生まれの人が、なぜ飛行艇専用の「横浜海軍航空隊」に興味を持ったのか。
きっかけとなったのは、その人のジョギングコースである「富岡総合公園」でのこと。そこは桜の名所である。(といっても私は行ったことはないが)花見客でにぎわう公園を散策している時、「いつのことだったかははっきりと覚えていないのだが、桜が満開の日曜日に、花見客でにぎわう一画から少し離れたところで、花見客とは明らかにちがう集団と出くわした。あれは何だったのか気になり、翌週の週末ジョギングの途中にそこに寄って、中に入ってみた。細長い参道のような道を進むと、小さな碑が建っていた。そこには富岡総合公園の桜の由来が刻まれていた。『桜の由来。この桜は昭和十一年十月横浜海軍航空隊がこの地に開隊された時隊員の手で植樹され大切に育てられたものである。年々歳々花変らねど 征きて還らぬ戦友多かりき。横浜海軍航空隊、略称は浜空。海軍といえば横須賀。横浜に海軍あった? しかも航空隊。『桜の由来』の碑の左には『浜空神社の由来』という碑があり、かつてここに神社があったこと、そして飛行艇の一大基地があったことを教えてくれる」。
ふと、今月二十日の「群青忌」のことが浮かんだ。野村先生の思想と行動を風化させないために続けている慰霊祭の「群青忌」。つづけていればこそ、もしかしたら『語り継ぐ横浜海軍航空隊』を書いた人のような方が出るかもしれない。我々門下生の他に、野村先生のことを語り継いでくれる人が・・・。ということにまず惹かれて購入したのである。本は、あまり知られていなかった「飛行艇」と地元にスポットを当てた歴史書でもある。良い本と出会ったと喜んでいる。かつて、盟友と訪れた鹿児島の鹿屋基地に展示されていた旧海軍の二式飛行艇一二型<を見たことを思い出した。/strong>