白雲去来

蜷川正大の日々是口実

行為者と被害者の溝。

2018-10-12 11:55:26 | 日記
十月十日(水)晴れ。

毎日、六時に起きる癖がついた。早寝早起きは三文の徳、と言うが語源は、「朝早く起きれば、健康にも良いし、それだけ仕事や勉強がはかどったりするので得をするということ。『三文』とは、一文銭三枚のことで「ごくわずかな」という意味。わずか三文だとしても、得るものがあるということで、朝寝を戒める意味を込めて使う。とのこと。減酒をしているせいか、目覚めがいい。

今読んでいるのが、『昭和の怪物 七つの謎』(保坂正康著・講談社現代新書)。その中で、印象に残ったのが五・一五事件で、青年将校に殺害された犬養毅首相の孫の犬養道子さんへの取材を元にして書かれた「犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか」と、二・二六事件の際にやはり殺害された渡辺錠太郎の娘で、襲撃された現場で、その一部始終を目撃した渡辺和子さんのエピソードである。私は、民族派として、五・一五事件や二・二六事件を支持する立場ではあるが、何か特別な過ちを犯したわけでもなく、私利私欲に走ったわけでもなく、その政治的な「立場」ゆえに殺害された人たちも尊敬する気持ちもある。

しかし、今回、遺族である犬養道子、渡辺和子の両氏のエピソードを読むにつれて胸が痛んだ。事件を盲信していた若い頃とは違い、歳をとり、それなりに勉強した結果でもあるかもしれない。渡辺さんは、学校法人ノートルダム清心学園理事長のポストについていたが、二〇一六年十二月三十日に学園内にある修道院にて亡くなられた。その死亡記事を読んだ記憶がある。

渡辺さんは、自身の「赦し」についてこう語っている。「私は自分の小さな世界の中でもいいですから、出来るだけ人を赦して笑顔で過ごしているのです。家族や友人への優しさ、そしてその延長としての優しさがなどが大切と言うことです」。しかし、渡辺さんは「二・二六事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」。事件の時、渡辺さんは九歳。八十年が過ぎても、父が殺された二・二六事件は「赦し」の対象から外れているのである。とても重い言葉だ。是非、この本をご一読願いたい。行為者と被害者・・・。埋まることのない溝をどうすべきか。とても考えさせられた本だった。

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葬儀の席で罵声を浴びせる不心得者。

2018-10-12 11:31:52 | 日記
十月九日(火)曇り。

沖縄県那覇市でおこなわれた翁長雄志・前沖縄県知事の県民葬が執り行われた。日本・メコン地域諸国首脳会議の出席を理由に欠席した安倍首相の代理として菅義偉官房長官が追悼の辞を代読し終わると、多くのヤジが飛んだ。ニュースでこの様子を見て、何と礼儀知らずな、非常識で育ちの悪い人たちかと思った。例え、自分たちと思想信条を異にするとはいえ、葬儀の席、それも弔辞の後に、罵声を浴びせかけたり、抗議の声を挙げるなどと言うことは、その人たちが支持をした翁長雄志氏をも冒涜する行為であると言える。日本人の美徳とか、情と言うものを全く持ち合わせていない人たちであると感じた次第。そういった非常識な人たちのニュースを見て、思い出したことがある。終戦直前の内閣総理大臣、鈴木貫太郎のエピソードである。

昭和二十年の四月、小磯陸軍大将の内閣が総辞職をしたあと、大命を拝したのは、海軍の軍人として日露戦争の折、駆逐艦の艦長として活躍し、その後、連合艦隊司令長官、軍令部部長、侍従長を歴任した、鈴木貫太郎提督であった。この鈴木貫太郎大将は、昭和十一年には天皇のお側に使える侍従長の立場にあったが、その年に起きた二・二六事件の際に、「君側の奸」として、決起将校の指導者的存在である安藤輝三大尉の部隊に襲撃をされ、瀕死の重傷を負った。

この鈴木内閣が成立した昭和二十年の四月七日は、戦艦大和が巡洋艦矢矧を先頭に八隻の駆逐艦と共に沖縄に向けて海上特攻に出撃し、九州南方沖で撃沈された日でもある。この大和の撃沈から六日後、米大統領のフランクリン・ルーズベルトが急逝した。その報に接した、鈴木貫太郎総理は短いメッセージを発表した。ルーズベルトの政治的功績を認め「深い哀悼の意をアメリカ国民に送る」と述べただけの簡単なものだったが、同盟通信を通じてこれが海外に流されると、欧米各地で予想外の反響が起こった。

スイスの新聞「バーゼル報知」の主筆が「敵国の首相(元首)の死に哀悼の意を捧げた日本の首相の心ばえはまことに立派である。これこそ日本武士道精神の発露だろう。ヒトラーが、この偉大な指導者の死に際してすら「悪魔の死」と誹謗の言葉を浴びせて恥じなかったのとは、何という大きな相違であろうか。日本の首相の礼儀正しさに深い敬意を表したい」と書いた。一国の総理の顔が、その国の顔となることもある。立場は違うが、葬儀の席で、罵声を浴びせかけたり、政治スローガンを大声で発した、一部の不心得者の顔が、沖縄県民のイメージを損ねることにならないように祈るばかりである。

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