白雲去来

蜷川正大の日々是口実

五十年、国を憂いて草莽の。

2019-11-07 11:36:19 | 日記
十一月二日(土)晴れ。

そう言えば、昨日、友人と近くの「浜一」で飲んでいたら、盟友のO氏とI氏から「調布でラグビーの準決勝の観戦が終ったので横浜に向かいます」。と連絡が入った。止せば良いのに一杯入っている勢いで、迷わず「OK牧場!」と二つ返事。夕方は、背広ショックでトボトボと向かったが、今度はイソイソと関内へ進撃。

ラグビー帰りのお二人さんは、揃いの日本のユニフォームで盛り上がり、私もラグビーなど良く分からんが傾城と傾国も交えて一緒に盛り上がり、コリャコリャ状態。(私のせいではありません)。その後、サリーズバーに転戦。そこから、久しぶりに「写楽」へ。半年も前の私のボトルが置いてあったのには感激。盟友らにスペシャル・サンクス。そーっと自宅のドアを開けた。

そんな前日を反省して、朝食は、新潟は村上の「塩引き鮭」、清風楼の焼売。昼は抜いた。夜は、上野の中華料理店にて、青年思想研究会主催の「先憂を偲ぶ会」に大熊雄次氏と共に出席。受付を済ませてから白菊を頂いて、祭壇へ。祭壇には、戦後の民族派運動を語る上では欠かすことのできない重鎮の方々の遺影がある。児玉誉士夫、高橋正義、中村武彦、遠井司山、筑紫次郎、北上清五郎の諸先生の遺影に白菊を捧げた。私は、児玉先生の謦咳に接したことはないが、他の先生には公私共にお世話になった。

諸先輩のご挨拶の後に指名されて「献杯」の音頭を取らさせて頂いた。北上清五郎先生から教えて頂いた、黒龍会の内田良平先生の歌、五十年 国を憂いて草莽の 野に彷徨いて 泣きに泣きたり。を披露して献杯した。

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ムシューダよ頼んだぞ。

2019-11-07 11:16:55 | 日記
十一月一日(金)晴れ。

朝食は、昨日の残りの「おでん」。おでんはご飯のおかずにはならないと言う人がいるが、私は十分おかずになる。私が若い頃、横浜の繁華街の福富町に「相川」というおでん屋さんがあって良く通った。運動仲間も誘って、勉強会の打ち上げも、そのお店だった。長い時間が経って、親父さんもおかみさんも亡くなり、息子さん夫婦が少し離れた場所で、お店をやっているが、もう十年以上顔を出していない。おでんを作ると、福富町の相川のお母さんを思い出す。

そう言えば、衣替えをしようと思って、冬用の背広を納戸から出してクリーニングに出した。翌日、クリーニング屋さんが私の背広を持って来て、「虫に食われています」。ジェジェジェ。肩、胸のあたり、膝、何と四着もの背広が虫に食われていた。いつもならば、しまう時に、必ずクリーニングに出してからしまうのだが、これらの背広に限って、二シーズンほど箪笥に入れたままだった。中には気に入った物もあったのに、大ショックである。泣く泣く四着の背広をゴミに出した。

納戸のドアや箪笥を開けっ放しにして風を入れ、「ムシューダ」を沢山買ってきて入れた。コートやセーターどは、今は見る気がしない。もし虫に食われていたら、ショックが大きすぎるからだ。

夜は、自宅近くの「浜一」にて友人と食事。トボトボと向かった。

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