白雲去来

蜷川正大の日々是口実

東の尾花、西の野田岩。

2019-11-11 17:46:15 | 日記
十一月七日(木)晴れ。

さして飲まない日は体調は良いが、寝つきが悪くて困る。ダラダラと六時に起きた。朝食は、ナポリタン、ロースハム、豆腐の味噌汁。昭和のおじさんは、昔ながらのナポリタンは立派にご飯のおかずになるのだ。今なら笑い話のようだが、スパゲティーを炒めずに、茹で上がったものをに味をつける。何て言うことは、私が若い頃には常識の外だった。茹でたものが冷めてもくっつかないようにサラダオイルをまぶして冷蔵庫に入れておく。食べたくなったら、ウインナーやピーマン、玉ねぎを炒めてから、スパゲティーを入れてケチャップで味をつける。これがナポリタンである。スパゲティーをパスタと言うのが一般的になったのはいつの頃からだろうか。まっどうでも良い話ですけれど。

夕方、上のから日比谷線に乗り換えて南千住へ向かった。三本菅啓二先生のご厚意で、ミシュラン一つ星の鰻の名店の「尾花」へご招待いただいた。都内では「東の尾花、西の野田岩」とも並び称される老舗である。同行は、大行社の丸川、菅原の両氏。私はこのお店を訪れるのは二度目である。初めて来たときはお座敷だったが、久しぶりに来てみたらテーブルと椅子に代わっていた。このお店は、予約を受け付けないので昼時や夕食時に行くと、二、三十人が並んでいるので、その時間をはずして行かなければならない。

うな重の前に、うまき、うざく、白焼きでを肴に燗酒。こんなに品の良い「白焼き」はめったにない。最後に「うな重」。スペシャルサンクスな夜でした。

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牧水の酒。

2019-11-11 17:02:01 | 日記
十一月六日(水)晴れ。

「へえ、毎晩の晩酌に三本も空けるのですか、そりゃ大した酒豪ですぞ!」私たちが結婚して間もなくの頃、私たちには未知だった或人からこんな事をつぶやかれた事があった。それは私か二十五、牧水が二十八歳の時の或日であった。それを聞いた時私は、たった三本位の酒を飲むのがどうして酒豪などと云われるのか、さっぱり解らなかったのであるが、それが追々に解るようになって行くにつれ、次第に並々ならぬ覚悟を強いられる立場に在る自分を知る事になって行ったのである。(『酒と作家たち』浦西和彦編・中公文庫)
 
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり。などの酒の歌で有名な若山牧水は、アルコール依存症で度々病院の世話になっていた。嵐山光三郎センセイの『文人悪妻』(新潮文庫)によると、死ぬ三週間前の九州めぐりの旅では、五十一日間の旅で、一石三斗飲んだと述懐し、朝起きて四合、昼に五合、夜は一升以上という飲酒が連日続いたとある。牧水はつらい青春時代を過ごし、失恋し、貧乏に苦しみ、酒を覚えた。牧水にとって酒を飲むことは、生きながらにして自分を葬ることだった。と嵐山センセイは書いている。私は、健康と日々の楽しみのために飲んでいる。ここが天才と凡人の差かもしれない。

凡人の一日は、朝は秋刀魚の塩焼き大根おろし添え、明太子、シジミの味噌汁。昼は、シチュー。夜は、ピーマンとタケノコと豚肉炒め、鶏手羽の塩麹漬けの蒸し物。お供は「黒霧島」。

 

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