白雲去来

蜷川正大の日々是口実

天下の秋を知る。

2019-11-15 13:25:31 | 日記
十一月十三日(水)曇り。

朝食は、柳カレイの干物、牛筋煮。昼は、おにぎり一個。夜は、お友達と元町「ふじまつ」から関内へ。中国の淮南子に有名な「一葉落ちて天下の秋を知る」がある。「一葉」と言っても何の葉なのか分からないが、近代俳句の世界では「桐の葉」と決まった。大きな桐の葉が落ちると、いよいよ秋だと言う感じが深まることから、「衰亡のきざしをあらわすときや、わずかな前兆から、どんなことが起こるだろうかを予知するときに使われる」(「楠本憲吉歳時記」)

「潯陽江頭に夜客を送れば 楓葉荻花 秋瑟瑟たり」。から始まるのが、白楽天の「琵琶行」である。楓葉荻花(ふうようてきか)と言うのは、カエデの葉とオギの花のこと。カエデは分かるが「オギの花」とはと思って調べてみたら、何とススキとそっくりな花で、素人には見分けがつかないとのこと。「秋瑟瑟(しつしつ)たり」とは、風が寂しく吹くさま。瑟瑟、カエデの葉やオギの花に、秋のもの寂しい風が吹いてくる様子を表現している。

桐も楓も荻も、秋になって色づき葉が落ちるのは、何か自分の人生と照らし合わせて物悲しく映るのは、中国人も日本人も同じ感慨に耽るのだろう。私的には、少ない髪の毛が抜け落ちる方が悲しいのだが。

同じ花でも「桜を見る会」が揺れている。自分たちが政権を取ったならば同じことをやったのだろうに、他人がやることは許せない。セコイというか、ひがみっぽい連中が多いなぁー。
 

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