十月尽(木)晴れ。
随分と、陽が短くなった。秋の日は釣瓶(つるべ)落としとか。「釣瓶」とは、水を汲むために竿や縄の先につけて、井戸の中におろす桶のこと。その釣瓶が井戸に滑り落ちるように、秋の日は一気に日があっという間に暮れるということをいう。一杯やるのには丁度良い季節である。
朝、六時前に起きてテレビを点けたら、なにやら火災の模様が映っていた。ん、何処だ。何と首里城が燃えているではないか。驚いて画面に釘付けとなった。何が原因かは分からないが、とてもショックだ。沖縄に初めて行ったのは、昭和五十七年の七月の事だった。その頃は、まだ首里城は再建されておらず、守礼門の前で写真を撮った。平成四年十一月二日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園した。再建されてから二度ほど首里城を訪れたことがある。
果たして、令和の火災で焼失したものを再建するのには、どれほどの年月と費用が掛かるのだろうか。二度の台風の被害も傷跡も癒えぬうちに、またこの災害か。皆で力を合わせて、この苦境を乗り切って貰いたいものだ。
少し寒くなったので、夜はおでんの鍋を囲んだ。サイドには、小籠包に餃子。お供は「黒霧島」。
随分と、陽が短くなった。秋の日は釣瓶(つるべ)落としとか。「釣瓶」とは、水を汲むために竿や縄の先につけて、井戸の中におろす桶のこと。その釣瓶が井戸に滑り落ちるように、秋の日は一気に日があっという間に暮れるということをいう。一杯やるのには丁度良い季節である。
朝、六時前に起きてテレビを点けたら、なにやら火災の模様が映っていた。ん、何処だ。何と首里城が燃えているではないか。驚いて画面に釘付けとなった。何が原因かは分からないが、とてもショックだ。沖縄に初めて行ったのは、昭和五十七年の七月の事だった。その頃は、まだ首里城は再建されておらず、守礼門の前で写真を撮った。平成四年十一月二日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園した。再建されてから二度ほど首里城を訪れたことがある。
果たして、令和の火災で焼失したものを再建するのには、どれほどの年月と費用が掛かるのだろうか。二度の台風の被害も傷跡も癒えぬうちに、またこの災害か。皆で力を合わせて、この苦境を乗り切って貰いたいものだ。
少し寒くなったので、夜はおでんの鍋を囲んだ。サイドには、小籠包に餃子。お供は「黒霧島」。