白雲去来

蜷川正大の日々是口実

首里城の火災。

2019-11-06 17:44:37 | 日記
十月尽(木)晴れ。

随分と、陽が短くなった。秋の日は釣瓶(つるべ)落としとか。「釣瓶」とは、水を汲むために竿や縄の先につけて、井戸の中におろす桶のこと。その釣瓶が井戸に滑り落ちるように、秋の日は一気に日があっという間に暮れるということをいう。一杯やるのには丁度良い季節である。

朝、六時前に起きてテレビを点けたら、なにやら火災の模様が映っていた。ん、何処だ。何と首里城が燃えているではないか。驚いて画面に釘付けとなった。何が原因かは分からないが、とてもショックだ。沖縄に初めて行ったのは、昭和五十七年の七月の事だった。その頃は、まだ首里城は再建されておらず、守礼門の前で写真を撮った。平成四年十一月二日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園した。再建されてから二度ほど首里城を訪れたことがある。

果たして、令和の火災で焼失したものを再建するのには、どれほどの年月と費用が掛かるのだろうか。二度の台風の被害も傷跡も癒えぬうちに、またこの災害か。皆で力を合わせて、この苦境を乗り切って貰いたいものだ。

少し寒くなったので、夜はおでんの鍋を囲んだ。サイドには、小籠包に餃子。お供は「黒霧島」。

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ゆるふんの議員さんたち。

2019-11-06 17:20:38 | 日記
十月三十日(木)晴れ。

我ながらそそっかしい。昨日のブログと今日のがダブった。並木さんの訃報は昨日ではなく今日だった。合掌。しかし自民党の議員さんは昔風に言えば「ゆるふん」である。意味は、ふんどしの締め方のゆるいこと。特に、相撲でまわしの締め方のゆるいこと。転じて、心構えのいいかげんなこと、気持ちのたるんでいること。

あっウグイス嬢に既定以外のお金を払ったのは女性議員か。じゃあ「ゆるパン」か。そんなことはどうでも良い。議員のイロハのイ、基本中の基本を知っていてか、知らずか、それても麻痺しているのか、ニュースを聞くたびにうんざりするのは私だけではあるまい。

来月は、前半から、連日行事が入っている。これから年末まで、体も金も忙しい。

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古いお付き合いの方の訃報。

2019-11-06 12:33:18 | 日記
十月二十九日(火)雨。

雨か・・・。子供の頃は雨が嫌いだったが、この歳になると雨もまた良い。と思うようになった。唐の中期の詩人の張籍の詩に「秋思」と言うものがある。随分前だが、長い出張先で、手紙を書く度にこの詩を思い出したものだ。

洛陽城裏見秋風 洛陽城裏 秋風を見る
欲作家書意万重 家書を作らんと欲して 意(おもい)万重
復恐怱怱説不尽 復た恐る 怱怱にして説き尽くさざるを
行人臨発又開封 行人 発するに望んで 又封を開く

洛陽の町の中、秋風が吹き抜けていくのを見た。
故郷の家族への手紙を書こうとすると、
あれもこれもと心に浮かんで来る。
慌てて書いて、気持ちを全て言い尽くせないのが心配だ。
手紙を託す旅人が出発するに際して、
また気になって封を開いて見てしまう。

午後に、長いお付き合いをさせて頂いた、日本民族連合議長、並木晃さん逝去の報有り。確か二年前に並木さんの傘寿のお祝いに出席したのが並木さんとお会いした最後だったか。今年の春に、「初期の肝臓がん」で治療中と連絡を頂いた。「ステージが低いので、心配していない」とのことだったが・・・。合掌。

雨の朝は、冷食のハンバーグ、ナポリタンに一口ヌードル。漢詩に似合わないが、仕方がない。昼は何故かアンパン。夜は、エビ、ホタテ、鮭のミックスフライ。キャベツの千切り。お供は黒霧島。

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送別の食事会。

2019-11-06 11:22:12 | 日記
十月二十八日(月)晴れ。

今日も良い天気である。スキッと起きて朝食は、アジの干物、生卵、シジミの味噌汁。昼は抜いた。夜は、新宿の割烹料理屋にて、社会科学院の人たちとの送別の夕食会。

三日間はあっという間に過ぎて、今日は、社会科学院の方たちとの送別の食事会である。阿形充規先生が出席なされ、大いに盛り上がった。なぜ、民族派の我々が中国政府のシンクタンクである社会科学院の人たちとの交流が・・・。と思う人たちも多いのではないか。昨年、社会科学院の招きで訪中した。阿形充規先生や一誠会の仲程通也会長、国粋青年隊の吉岡亜樹会長らの推薦で訪中団に加えて頂いた。

社会科学院の中にある日本文化研究所の王先生が、中国では珍しく日本の右翼・民族派を研究しており、昨年に続き現地にて、講演会や討論会を行うにあたり、一人欠員が出たこともあり私が一行に加えて頂いた。私以外の人は、二度目の訪中である。第一回目の訪中のことは、横山孝平氏が、『月刊日本』の平成二十九年の八月号に「対中外交の要諦は、頭山満翁曰く「誠至って神通ずじゃ」として発表している。とても良い文章なので、機会があれば許可を得て転載させて頂きたいと思っている。

私が参加した、訪中団のことは、やはり横山孝平氏が、弊誌の『燃えよ祖国』、にて「民族派有志訪中団レポート」として六回に渡り連載して頂いたので、お読みになった方も多いと思います。

九時過ぎに、再会を約して解散した。

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中国社会科学院の人たちの講演会

2019-11-06 10:36:15 | 日記
十月二十七日(日)晴れ。

良い天気である。朝食は、頂き物の新潟は「村上」の塩引き鮭、玉ねぎのさつま揚げ、カップ麺のワンタンスープ。昼は抜いた。午後から東京行き。新宿にある多目的レストランにて、昨日、来日した中国社会科学院の人たちの講演会がある。同日に、上野のお寺にて、野村先生の名前の刻まれている「憂国烈士の碑」の法要があるのだが、こちらは群青の会の大熊雄次氏に参加して頂いた。

三時に開会。三十五席を用意した会場は、参加者で満席。社会科学院の教授、三名が意見発表をした後に、質疑応答。三教授の意見発表は、『燃えよ祖国』に掲載の予定である。

終了後、同会場で、夕食の後に解散。

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