二月二十日(木)曇り。
かつて取材でお世話になったNHKのディレクターの方が、IR、いわゆるカジノを含む総合リゾート計画の件で、話を聞きたいとのことで来浜。伊勢佐木町の「登良屋」にて天ぷら定食の昼食を獲りながら雑談。雑談と断ったのは、その件に関する情報などほとんど持ち合わせていないからだ。噂話程度しか知りませんと、あらかじめお断りしていた。食後、再会を約して別れる。
そう言えば、十四日の新聞の死亡欄に、拓大の教授、伊達宗義先生の名前があって、えっと声を上げてしまった。伊達先生を知らない方のために一応プロフィールを紹介してみる。
伊達 宗義(大正10年(1921年) - 令和2年(2020年)2月1日)は、柘植大学海外事情研究所所長。宇和島藩主の伊達氏の一族で、伊達政宗の子孫に当たる。父は伊達順之助、祖父は伊達宗敦、曽祖父は伊達宗城である。日本の植民地下であった朝鮮半島で生まれた。令和2年(2020年)2月1日午前10時23分に98歳で死去した。ご尊父の伊達順之助をモデルにした檀一雄の『夕日と拳銃』(現在角川文庫)はベストセラーとなり、映画、テレビドラマとなった。
馬賊の歴史や本が好きな人には説明は無用であろう。伊達先生には、『灼熱―実録・伊達順之助 』(1979年)という著書を出されており、読んだことがある。昭和57年の7月に犬塚博英先輩を団長として、沖縄の祖国復帰十周年を記念し「民族派青年有志・沖縄戦跡慰霊巡拝団」を結成し、沖縄の激戦地を巡った。その折に同行して頂き、記念講演をして頂いたのが伊達先生だった。タイガ―ビーチという所で行ったBBQで、私が伊達先生の前で、テレビ映画『夕日と拳銃』の主題歌を歌ったことが懐かしく思い出される。合掌。※写真は戦跡慰霊巡拝団の結団式、沖縄護国神社にて。先頭の紺の服の人が伊達先生。右後ろ隣が私である。
かつて取材でお世話になったNHKのディレクターの方が、IR、いわゆるカジノを含む総合リゾート計画の件で、話を聞きたいとのことで来浜。伊勢佐木町の「登良屋」にて天ぷら定食の昼食を獲りながら雑談。雑談と断ったのは、その件に関する情報などほとんど持ち合わせていないからだ。噂話程度しか知りませんと、あらかじめお断りしていた。食後、再会を約して別れる。
そう言えば、十四日の新聞の死亡欄に、拓大の教授、伊達宗義先生の名前があって、えっと声を上げてしまった。伊達先生を知らない方のために一応プロフィールを紹介してみる。
伊達 宗義(大正10年(1921年) - 令和2年(2020年)2月1日)は、柘植大学海外事情研究所所長。宇和島藩主の伊達氏の一族で、伊達政宗の子孫に当たる。父は伊達順之助、祖父は伊達宗敦、曽祖父は伊達宗城である。日本の植民地下であった朝鮮半島で生まれた。令和2年(2020年)2月1日午前10時23分に98歳で死去した。ご尊父の伊達順之助をモデルにした檀一雄の『夕日と拳銃』(現在角川文庫)はベストセラーとなり、映画、テレビドラマとなった。
馬賊の歴史や本が好きな人には説明は無用であろう。伊達先生には、『灼熱―実録・伊達順之助 』(1979年)という著書を出されており、読んだことがある。昭和57年の7月に犬塚博英先輩を団長として、沖縄の祖国復帰十周年を記念し「民族派青年有志・沖縄戦跡慰霊巡拝団」を結成し、沖縄の激戦地を巡った。その折に同行して頂き、記念講演をして頂いたのが伊達先生だった。タイガ―ビーチという所で行ったBBQで、私が伊達先生の前で、テレビ映画『夕日と拳銃』の主題歌を歌ったことが懐かしく思い出される。合掌。※写真は戦跡慰霊巡拝団の結団式、沖縄護国神社にて。先頭の紺の服の人が伊達先生。右後ろ隣が私である。