白雲去来

蜷川正大の日々是口実

山頭火の酒。

2020-02-03 17:45:26 | 日記
一月二十九日(水)晴れ。

暖かい日である。この時期に天気が良くて、暖かい。と言うだけで何か嬉しくなる。朝食は、昨日に買っておいたマカロニサラダ、ナポリタン、メンチカツにとろろこぶのスープ。昼は抜いた。夜は、野村先生の奥様と泰子さん。そして勇介君夫妻に泰子さんのお友達のM子さんたちと共に関内で痛飲。初めてのお店だったがかなり良かった。その後、サリーズバーに転戦。楽しい夜だった。

嵐山光三郎センセイの著作に『文人悪食』(マガジンハウス)というものがある。嵐山先生の著作には食や作家に関するものが多く、ほとんど読んでいる。『文人悪食』にも様々な作家や俳人のエピソードが出てくるが、山頭火の酒は哲学的でもある。

山頭火は「大飯食いの行乞僧であった。とにかく食う。もりもり食う。ガンガン飲む。酒を飲み、水を飲み、『飲んで尿して去る』とうそぶいて五十八年の生涯を閉じた」。

『山頭火の秀句』(潮文社)という本の中に、山頭火の「酒に関する覚書」というものがあり、その「二」にはこうある。

酒中逍遥、時間を絶し空間を超える。
飲まずにはゐられない酒はしばしば飲んではならない酒であり、飲みたくない酒でもある。
飲まなければならない酒はよくない酒である。
飲みたい酒、それはわるくない。
味ふ酒、よいかな、よいかな。
酒奸きと酒飲みとの別をはっきりさせる要がある。
酒好きで、しかも酒飲みは不幸な幸福人だ。

私もそうだが、酒飲みと言うのは、何だかんだ理由をつけては、「まず一献」なのだ。



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第二の武漢作戦

2020-02-03 09:54:48 | 日記
一月二十八日(火)雪後曇り。

武漢から特別チャーター機で帰国した日本人の内、二人が帰国後の診療を拒否して自宅に帰ってしまったことがあった。どんな理由があるにせよ、非常識な連中だ。もしそいつらが私の自宅の近くにいて家族の誰かが感染したらただでは置かない。と思うのは私だけではあるまい。周りの空気を読まない、協調性が無い、自己中心的である・・・。そんな連中が増えているような気がしてならない。

新型コロナウイルスが猛威を振るっている中国の武漢は、かつて日中戦争の折の激戦地であったことでも知られている。武漢作戦は、昭和十三年六月十一日 ~ 十月二十七日 、武漢三鎮攻略戦、武漢攻略戦とも呼称される日中戦争の一つの節目とされる戦いである。武漢まで戦線を広げる事になった日本軍は、天然の要害である首都重慶の攻略が困難な事を悟らされてそこで手詰まりとなり、以降は終結への道筋が付かない泥沼戦争に引きずり込まれた。

徐州会戦後も蒋介石政権は日本に対し徹底抗戦を続け、事変解決へは至らなかった。この作戦は蒋介石政権の降伏を促すため、広東作戦とともに中国の要衝を攻略することを目的とし、日中戦争中最大規模の三十万以上の兵力で行なわれた。また日本国内ではこの動員・巨額の出費のため、政府は昭和十三年五月五日に国家総動員法を施行、同月近衛文麿内閣を改造した。中国側の呼称は武漢会戦。または武漢保衛戦という。

新型コロナウイルスも、かつての武漢作戦のように、手詰まりとなり、以降は終結への道筋が付かない泥沼戦争に引きずり込まれ、なければよいのだが。




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