白雲去来

蜷川正大の日々是口実

行事が三日連続。

2020-02-13 15:02:34 | 日記
二月八日(土)晴れ。

今日は、野村秋介思想研究会の新年会がある。これで木曜日から三日連続で行事が続いている。さすがに体も懐も辛い。のんびりと起きた。朝食は、カマスの干物、能登屋のさつま揚げ、納豆、大根の味噌汁。昼は無し。夜は宴会料理。

六時に、関内駅にて野村先生の奥様と待ち合わせて会場へ。知っている人は三分の一くらいか。藤巻会長の挨拶の後に、来賓として挨拶をさせて頂いた。二時間ほど飲んで先生の奥様を駅に送ってから、まっすぐ帰るのも芸がないのでサリーズバーへ。キャシー中島さんご夫妻や顔なじみの人ばかりで満席。しばらく飲んでから帰宅。

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結婚式へ。

2020-02-13 14:07:41 | 日記
二月七日(金)晴れ。

昨夜、少々飲み過ぎたためか朝がきつかった。起きたら家にいるのは私一人。まだ酒が残っている。それでも朝食は取る。目刺し、大好物の能登屋のさつま揚げ、小さい「どん兵衛」。さつま揚げが好きだ。以前は、千葉の「嘉平屋」のものや、お中元やお歳暮で頂いた本場鹿児島の「つけ揚げ」などを取り寄せていたが、最近は菊名の「能登屋」の物が多い。おでんにしても良いのだが、物が良すぎて、ほとんどさっと焼いて生姜醤油で食べている。特に「玉ネギ揚げ」が絶品である。

今日は、先輩の犬塚博英ご夫妻が仲人となって牧田龍、碧さんの結婚式が赤坂の乃木神社にて行われ出席。新郎のご尊父とは古い付き合いで、かつてはブンド(調べてみてね)の活動家で、ピース缶爆弾の製造者としても知られている。野村先生ともお付き合いがありの、「風の会」の選挙でも随分とお手伝いを頂き、鼎談の本も出している。

出席者のほとんどは民族派関係の人ばかりだったが、伊勢志摩の徳山さんがご列席されていたのが嬉しかった。先日、牡蠣を送って頂き、そのお礼もしていないうちにお会いし、礼を失した形になってしまったのが、恥ずかしかった。新郎新婦を差し置いて銘々が楽しんでいるのがおかしかった。まずおめでとうございます。

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野村先生の生誕祭。

2020-02-13 12:49:09 | 日記
二月六日(木)晴れ。

朝食は、紅鮭、納豆、トロロコブスープ。昼は、川崎駅中のイタメシ屋でピザ一枚。夜は、川崎の居酒屋で直会。

今日は、群青の会の大熊雄次氏が中心となり、志村馨、松本佳展の両君などが世話人となり野村先生の生誕祭を行った。本来は、先生の誕生日は二月の十四日である。毎年この日に行っていたが、会場の都合で前倒しとなった。

先生は、昭和十年の生まれであるから、御健在なら今年で八十五歳である。しかし私たちにとっては、亡くなられた五十八歳のままである。以前、奥様が、「お父さんが死んでから、二十年以上が過ぎて、私が向こうに行ったなら、お父さんは私のことが分かるかしら」と話された時には、さすがにホロッときた。

生誕祭は、当初は群馬県の雷電神社にて開催していた。その神社に亡くなられた正田秀幸氏が先生の「わが生の須臾なる命いかにせむ」の句碑を建てたことに由来する。その後、正田氏の地元の大宮、川崎と場所を移して行っている。野村先生の句碑は全国六カ所にある。菩提寺の浄発願寺には代表句の「俺に是非を」が、ご尊父の眠る、横浜は西区の通称「赤門の寺」東福寺には、「昂然として行くべし冬の銀河の世」、群馬県前橋市大前田町には辞世となった「惜別の銅鑼は濃霧の奥で鳴る」。福岡県には、やはり代表句。そして、今年の初夏には札幌に、代表句の句碑の完成披露をおこなう。

先生が壮烈なる自決を遂げてから二十七年、微力ながら先生の思想と行動が風化せぬように努力する所存です。今後ともご指導とご鞭撻のほどを伏してお願い致します。

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