白雲去来

蜷川正大の日々是口実

乃木坂辺りでは、いい女なんだってね。

2020-02-10 13:28:56 | 日記
二月三日(月)晴れ。

日にちは、多少ずれているが歌手の梓みちよさんが亡くなられた。資料によれば、彼女は昭和18年生まれだから私よりも8歳年上である。彼女の最初のヒット曲「こんにちは赤ちゃん」がリリースされたのは昭和38年。私は中学の一年生だった。その頃の私は、ベンチャーズ、ビートルズといった洋楽に凝っていて、日本の歌謡曲にはあまり興味がなかった。彼女が「二人でお酒を」で再び脚光を浴びたのは昭和49年。この頃は、民族派運動の第一線で汗をかいていて音楽などの趣味とも訣別して街宣活動やビラ貼り、勉強会などを中心に日々活動していた。

梓みちよさんの曲で好きな歌と言えば「メランコリー」である。この歌は、昭和51年のヒット曲。私は25歳だったが、文字通りの貧乏活動家で、生きること、生活すること、運動することで精一杯であった。その歌の中に「乃木坂辺りでは私はいい女なんだってね」というものがあって、当時は乃木坂と言う所が、歌の歌詞になるぐらいだから、どんなに華やいだ場所かと、ちょっと憧れもした。

後年、野村先生が赤坂のみすじ通りに事務所を構えた。私が横浜から通う折に、表参道で乗り換えて乃木坂で降りた時、ふと梓みちよの「メランコリー」の歌詞が浮かんだ。しかし乃木坂のどこを見渡しても、乃木神社の周りは森閑としていて、厳粛さを感じても、勝手に華やかと思っていた歌のイメージが湧いてこなかった。少し歩いてもマンションや会社の入ったビルがあるだけで、一ツ木通りやみすじ通りのような賑わいが無く、裏切られたような気持ちになったのを覚えている。現在でも乃木坂周辺を度々訪れる機会があるが、「メランコリー」の歌詞が浮かんでくることはない。

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