白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今日も牡蠣三昧。

2020-02-11 16:08:52 | 日記
二月五日(水)晴れ。

朝起きて天気が良い時に、ふと口ずさんでいる歌がある。若い人は知らないだろうが、その昔、川田晴久とミルクブラザースという歌謡漫談のグループがあって、その人たちの代名詞のような歌。「地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう。西の国ならヨーロッパ、東の国は東洋の富士と筑波の間に流れる隅田川」。何となく元気が出る歌で、これを歌いながら雨戸を開ける。今日もそんな気分の朝だった。

朝は親子丼、カレーうどん。うーん脈絡のない朝食だ。昼は、マーボー豆腐。夜は、昨夜に続き「牡蠣三昧」。大き目の蒸籠(せいろ)で蒸牡蠣、牡蠣のアヒージョ、牡蠣と新玉ねぎのオイスターソース炒め。お供は、「伊佐美」を炭酸で割って飲んだ。焼酎ハイボールは牡蠣と良く合う。※写真は蒸し牡蠣と牡蠣と新玉ねぎのオイスターソース炒め。

六日の「産経抄」に面白いエピソードが掲載されていた。横浜生まれで、日本の思想家、文人、近代日本における美術史学研究の開拓者であった岡倉天心が、 アメリカ滞在中のこと。当時は東洋人がめずらしかたっと見えて、好奇の目で見られることが多く、また蔑視も今以上に強かった。ある米国人が天心をからかって、こう言った。「お前さんはどっちのニーズだ、チャイニーズか、ジャパニーズか?」。天心はとっさにこう切り返した。「お前さんはどっちのキーだ、モンキーか、ドンキー(ロバ)か、それともヤンキーか?」と。

吉村昭の『ポーツマスの旗』の中に、明治の外交官、小村寿太郎の面白いエピソードが書いてある。それは、彼が駐清特命全権公使で北京にいる頃に、万寿節の祝賀会に招かれた。その席上で恰幅の良い清国の宰相、李鴻章が、各国の公使夫妻らの前で、小村が最も背が低く「清国の十五、六歳の子供くらいだ」と笑いながら言った。すると小村は、「日本では大男総身に知恵がまわりかね、うどの大木、半鐘泥棒と言って大男は国家の大事を託しかねると言われている」と言い返した。

こういった人物のエピソードが好きだ。

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牡蠣むきの殼投げおとす音ばかり 。

2020-02-11 11:48:50 | 日記
二月四日(火)晴れ。

飲み過ぎると朝中々起きられないし、ほどほどに飲むと、目覚めがいい。飲まないで寝ると、夜中に何度も目が覚めて、熟睡できない。体調を崩したと言うと、「飲み過ぎなんだよ」。こういうことを言う奴は友達ではない。まっ世間にはそんな連中が多い。本当の友達というのは「酔中に真あり」と笑って寛容な人だ。酒をたしなまない人にも、いい人がいる。一緒にいても酒の邪魔にならない友人が幾人かいる。無趣味な私は、酒だけは避けられない。

朝は、目刺し、納豆、白菜のおしんこ、ワンタンスープ。目刺しは焼き方にコツがある。あんまり強火で長く焼くと、お腹の所がパンクして、ちょっと残念な姿になる。最も新鮮ではない物もお腹がパンクするので、気をつけて買うようにしている。上手に焼けたものは、頭からバリバリ食べるようにしている。目刺しと味噌汁にご飯だけだと侘しさが漂うので、もう一品必要だ。昼は抜いた。夜は、伊勢志摩の同志から牡蠣をどっさり送って頂いたので、我が家で、牡蠣パーティーを行った。

牡蠣は小ぶりのものが好きだ。夏の大きな岩牡蠣がどうしても食べられない。一口でスルッと口に入る程度の物が一番おいしい。レモンをギュッと絞って食べる。こんな時は、白ワインの良いものを奮発する。何たって有難いことに量が多い。一日では食べきれないので半分は冷蔵庫にしまって、残り半分を食べた。生牡蠣、焼き牡蠣。ふふふの三連続。レモンも沢山買ってハーフ切り。この方が贅沢さが増す。白ワインは冷蔵庫で冷やした物。伊勢志摩の同志に感謝しつつ、あっという間に頂いた牡蠣の半分を消化した。大量の牡蠣殻を見た下の子供が、「一つぐらい真珠が入ってなかった」。馬鹿コケ。。※写真は焼き牡蠣。一人分。

横浜にゆかりの俳人、中村汀女の句、牡蠣むきの殼投げおとす音ばかり 。我が家もこんな感じでした。

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