白雲去来

蜷川正大の日々是口実

おはぎのこと。

2020-10-02 12:44:14 | 日記
9月22日(火)曇り。秋分の日。

戦前は、この日は秋季皇霊祭といって、宮中皇霊殿で、陛下が神武天皇以下歴代天皇の皇霊をお祀りする祭儀のおこなわれる日であった。秋分は秋の真ん中の節にあたり、秋分の日の三日前を「彼岸の入り」といい、今日を中日と言う。

私が子供の頃は、母が朝から三種の味の「おはぎ」をつくりお仏壇に供した。あずき、黄な粉、ゴマの三種類だったが、出来上がるのを待ちきれずに、つまみ食いをして良く怒られた。母が亡くなってから家で「おはぎ」を作ることは無いが、スーパーなどで「おはぎ」を見ると、子供の頃を思い出す。東名が大渋滞と言うこともあってお墓参は来週にして、お仏壇に手を合わせた。

昨日の酒が、たっぷり残っていて、さすがに今日は休肝日にした。暑さ寒さも彼岸までとか。今日、厚手の毛布を出した。


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敬老の日を実感しています。

2020-10-02 11:54:45 | 日記
9月21日(月)晴れ。敬老の日。

飲み屋などで自虐的に使うのだが、昔の小学唱歌に「村の船頭さん」というものがある。1941(昭和16)年に発表された童謡だが、昭和16年当時、60歳と言うと、世間では立派な?お爺さんだった。ちなみに歌詞は。

村の渡しの 船頭さんは
今年六十の お爺さん
年はとっても お船をこぐ時は
元気いっぱい 櫓(ろ)がしなる
ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

私が小学生の頃の60代のお爺さんは皆、明治生まれの人だった。明治は昭和の三代前。今の令和の三代前は昭和というのと同じ時代感覚だった。東京オリンピックの二年前の昭和37年は、私が小学校の六年生で12歳。明治の最後の年に生まれた人は、大正の15年を経てこの時、まだ五十代である。今、明治と言うと遥か彼方の歴史の一齣という感覚しかないが、後10年もすると昭和生まれの私たちも、明治と同じような時代感覚の中で語られるに違いない。

今日は、「敬老の日」。別段、この日に合わせた訳ではないが、中学、高校の同級生であるY氏宅の素晴らしい庭で、同じ歳の四家族や友人が集まってBBQを行った。敬老の日にふさわしく?、男性は皆70代。午後二時から始まって、解散したのは八時過ぎ。いやーお世話になりました。

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