白雲去来

蜷川正大の日々是口実

襖一枚もの掛け軸。

2023-02-07 16:08:33 | 日記

2月2日(木)晴れ。

野村先生が監修した映画『斬殺せよー切なきもの、それは愛』の担当プロデューサーで、先年お亡くなりになられた柴垣達郎氏が、生前に「私が持っていても宝の持ち腐れだから、君に贈呈します」と言われ、頂いたのが、柴垣氏のご尊父、柴垣隆氏が昭和28年に行った宮崎滔天・民蔵・孫文追悼集会である。その折に、熊本の柴垣邸(大凡荘)での記念写真と、その人たちの「寄せ書き」を掛け軸にしたものである。その掛け軸と言うのが、横が一メートル五十、縦が二メートルでふすま一枚程度の大幅である。大きすぎて我が家では飾るところがない。

写真を見ると、写っている方は六十七名。右翼・民族派の錚錚たる人たちや、政財界の方、保田與重郎や日本浪漫派の人、あるいは中国国民党の要人の方などである。例えば、血盟団事件関係では井上日召、小沼正。浜口雄幸を東京駅にて狙撃した佐郷屋嘉昭。神兵隊事件関係の鈴木善一、中村武彦、影山正治、高橋梅雄、毛呂清輝。玄洋社関係では岩崎茂成、柴田麟次郎や後に福岡市長となった進藤一馬。その他、熊本日日新聞の社長、熊本県議会議長。宮崎滔天のご子息の龍介と滔天の甥の宮崎眞英。中国国民党関係では、陳中孚、韓雪階、趙雲鶴。(敬称略)といった人たち。

また、写真には写っていないが、宮崎滔天のご子息の宮崎龍介氏の奥さんで、歌人の柳原白蓮の寄せ書きもある。しかし、どうしても判明の出来ない方が幾人かいるのが残念である。その写真に写っている方で、現在ご存命の方は皆無である。掛け軸をご寄贈頂いた柴垣氏も亡くなられた。しかし物言わぬ写真と寄せ書きではあるが、戦前から戦後にかけての貴重な維新運動史を象徴する一級の資料であると思っている。

花房東洋先輩のご尽力により今年の五月に岐阜の護国神社内に建設し、開館する「青年日本の歌史料館」に寄贈するつもりでいる。しかし、何せ大きなものなのでいつ送ろうかと頭を悩ましている。

 


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盟友の還暦祝いへ。

2023-02-07 15:55:07 | 日記

2月1日(水)晴れ。

昨日、「最近ほとんど出かけることがない」と書いたばかりなのだが、今日は、盟友の還暦の祝いで東京行き。午前中に、お世話になっている方に迎えに来て頂き、12時30分からのお祝いの席へ。盟友の家族と私など総勢八名。どんなお店かと思ったら、オープンキッチンのフランス料理屋で、カウンターで8席のみ。何でも、その世界では有名なシェフがオーナーを務める知る人ぞ知るお店らしい。

豪華な、フランス料理のフルコースに、ワイン。いやはや、野育ちのせいもあって、フランス料理のフルコース何て初めてである。盟友のご子息が、感謝の手紙を読んだのだが、ほろりとさせられた。4時過ぎから男性陣だけで二次会。三次会へと進んだが、何せ昼から飲んでいるので、ヘロヘロになったが、時計を見たら、まだ七時過ぎ。ご挨拶をしてお暇した。


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「居職」の範疇に入るのかな。

2023-02-07 15:29:06 | 日記

1月31日(火)晴れ。

たまに行くスーパーで、この時期にしかない「生ワカメ」があると嬉しくなって、即買いする。レタスと一緒に「しゃぶしゃぶ」にして食べる。安いしヘルシーだし生活優良児である。レタスも一玉があっという間になくなる。味は、ポン酢とゴマダレ。お湯に入れると、あっという間に深緑色に変わるその瞬間が好きだ。

1月も今日でお終い。「正月気分」などとっくに失せているが、コロナになってから出かけることが少なくなり、曜日の感覚がなくなった。行事や会合もほとんどない。事務所と自宅の往復で一日が、一月が終わる。そういえば、裁縫師などのように、自宅にいて仕事に従事する職業を「居職(いじょく)」と言うのを知ったのは、向田邦子さんの本からだ。一応私も、その範疇に入るのかな。

 


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