白雲去来

蜷川正大の日々是口実

山本周五郎の若き日。

2023-02-22 12:52:56 | 日記

2月20日(月)晴れ。

朝食は、豚肉の生姜焼き、ナポリタン、しじみの味噌汁。昼は、ソースチャーハン。夜は、牛肉のニンニク炒め、」冷奴、大根と人参のシリシリサラダ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

1月の17日で止まったままになっている梶浦直樹君のブログ「行雲流水」を、もしかして、という淡い期待を持って開けてみる。しかし更新されていない。どこで何をしているのやら。元気でいれば良いのだが。

暖かい一日だった。このような陽気が続いてくれたら良いのにと思うのだが、そうは問屋の土手カボチャか。私がかつて10年ほど毎月連載をさせて頂いたのが『実話ドキュメント』という月刊誌。2頁の連載だったが「書く」という体力を付けさせて頂いたと感謝している。その『友を選ばば書を読みて』と言うタイトルの連載第一回は、山本周五郎の『日本婦道記を読む』だった。その山本周五郎は若き日に「帝国興信所」に就職し、その後、社長の後藤武夫が創刊した「日本魂(にほんこん)」へ移籍する。その記者時代に、右翼の大物である頭山満へ談話を取りに行った。「西郷は」・・・。仙人のような山羊髭の頭山はそう言いかけ、間があいた。30分も経ったので、具合でも悪くなったのかな、と思ったら、やおら語をついで、「偉いやっちゃ」。「帝国データバンク」の「百年史」の中にあるエピソードである。元東京都知事の猪瀬直樹氏がかつて『週刊文春』に連載していた「ニュースの考古学」(2007・4・5)に書いていた。

その山本周五郎は一時期、本牧の間門と言う所の丘の上にあった間門園という旅館に居を構えて海を眺めながら執筆をしていたことがあった。現在は、埋め立てられて海などは見ることはできないが、間門園という旅館のあった丘だけが今でも残っている。若い人は、間門が海に面していたと言っても信じられないかもしれない。先日、家族で行った吉田町の鰻屋「八十八」の初代の店は山本周五郎のなじみの店でもあった。

 


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