1月30日(月)晴れ。
その頃だった、一水会が主催した野村先生の講演会で、先生が「鈴木君と個人的には付き合うが、思想的には決別する」と発言したことを良く覚えている。確か、その時の司会は、現在、政経調査会を主宰している槙泰智さんだったと記憶している。そう感じていたのは、野村先生や私だけではなく、一水会の周辺に居た人たちも、徐々に鈴木さんから距離を置くようになって行った。
改めて、鈴木さんの著作を調べてみたら、鈴木さんがリベラル的な発言が多くなった以降の著作物には、ほとんど知らないものが多い。敢えて興味を持たなかったのかもしれない。それでも、会合や集会などでお会いすれば、必ずご挨拶に行ったし、お世話になった先輩に対する礼だけは失していなかったと思う。その際に、お世辞半分、「蜷川君。君は文章が上手なのだから、酒ばかり飲んでいないで、本でも書きなさい」と良く言われた。他の人から、そんなことを言われたのならば、「大きなお世話」と思うのだが、鈴木さんに言われると、ストイックな生き方をしていることを知っていただけに、反論のしようがなかった。
たまにお見掛けする鈴木さんの姿に異変を感じたのは、五、六年くらい前のことだったろうか。私の記憶では、最後にお会いしたのは、三浦重周さんの追悼祭「早雪忌」の会場だったと思う。その時は、女性が付き添っていたが、誰が見ても、一人で行動するのは、無理ではないかと思うような変わりようだった。その後、鈴木さんが病気が進行して入院し、面会もできない。というようなことを風の便りに聞いた。そして先日の訃報・・・・。
直接ご指導を頂いた野村先生はもとより、私は鈴木、阿部、犬塚といった先輩の背中を見続けて来たように思う。そして教わったことは、とても多い。それ故に、鈴木さんのリベラル化が残念でならなかった。鈴木さんの訃報に接し、私の個人的な思いを綴ってみた。 合掌。