2月14日(火)曇り。
野村先生の誕生日である。先生は、昭和10(1935)年生まれであるから、ご存命であれば、今日で88歳、いわゆる米寿となる。この日に、野村一門で群青の会の代表の大熊雄二さんが「生誕祭」を行ってきたが、コロナで3年ほど中止を余儀なくされている。今年は、先生の没後30年となる。5年ぶりに、会場をお借りして追悼祭、群青忌を開催する予定でいる。
先日購入した半藤一利の『昭和史の人間学』にとても興味深いエピソードがあった。対米開戦時に東条英機の副官を努めた西浦進(陸軍士官学校34期、陸軍大学42期の首席。陸軍士官学校同期の服部卓四郎および堀場一雄と並び「34期三羽烏」と称された)は戦後になって陸士同期の堀場一雄(最終階級・陸軍大佐)と服部卓四郎(最終階級・陸軍大佐)の3人で、戦時中の陸軍の「名将」を5人選んだことがあった。その時、全員一致で1位が石原莞爾の名を上げたという。以下、2位が板垣征四郎、3位・阿南惟幾、4位・今村均、5位・安達二十三の順だったという。
不勉強ながら、安達二十三(はたぞう)の名を知らなかった。ウイキで調べると、部下思いの名将であり、終戦後、捕虜となった部下の判決が全て下るのを待ち、拘留中の部下8名の釈放が決定すると、弁護団に礼を言い、ラバウルの収容所にて自決した。作家の山田風太郎は著書『人間臨終図巻』(徳間書店)において安達の遺書を引用し、次のような言葉を記した。『終戦直後の昂奮時ならともかく、二年を経て、おのれの責任を全うしたと見きわめてから自決をしたのはみごとというべきである。太平洋戦争敗戦にあたって、かかるみごとな進退を見せた日本軍の将官はきわめて稀であった。』
石原莞爾に関する著作は数多出版されており、有名な『世界最終戦争論』は手に入れることは容易である。阿南惟幾と言えば角田房子の『一死大罪を謝す』(ちくま文庫)がすぐに浮かぶ。今村均に関しては、やはり角田房子の『責任ーラバウルの将軍今村均』(ちくま文庫)や今村自身の『幽囚回顧録』(中公文庫)がある。板垣征四郎は「板垣征四郎刊行会編」による『秘録・板垣征四郎』(芙蓉書房)が白眉であろうか。気になった軍人がいれば、是非読んでみて下さい。また、芙蓉書房から出版されている『世紀の自決ー日本帝國の終焉に散った人びと』という名著が出ている。