10月10日(木)曇り。
野村先生が定宿としていたのがローマ風呂で有名な熱海の大野屋。私も2度ほどお供をして泊ったことがある。野村先生が、昭和50年に「河野邸焼き打ち事件」にて12年の刑を終了し戦線復帰し、熱海の大野屋で静養していた。そこを訪ねたのが阿形充規先生だった。阿形先生の先輩であり、やはり千葉刑務所に服役していたF氏の伝言を預かり、それを聞くために阿形先生が、大野屋に野村先生を訪ねる。正に、人の一生は邂逅の一語に尽きるで、其の後、阿形先生は民族派運動に邁進して行く。現在の大野屋は何とか言うお茶屋さんに買収され、高級旅館から大型銭湯のようになってしまった。
その大野屋に支配人として勤めていた方は、野村先生はもとより、先生のご家族とも懇意にしており、群青忌の出席や、ご家族と共に横浜に来て一献酌み交わしたこともある。その方から平成五年の10月の先生が自決なされる一週間ほど前に、作家の山平重樹さんを伴って大野屋を訪れた時のことや、元楯の会の故阿部勉さんの思い出などを書いた手紙と共に、会津の銘酒「栄川」(えいせん)をご恵送頂いた。
私が道の兄と慕った阿部勉さんは平成11(1999)年10月11日に肺がんで亡くなられた。享年53歳。森田忠明さんが主宰していた櫻風亭歌會が中心となって平成十年に出版した合同歌集『國風(くにぶり)』という本の中に、多くの民族派諸兄に交じって、阿部勉さんも短歌を投稿している。「春も酒」と題した八首はいかにも阿部さんらしいニヒルで酒を愛し、また浪人の風情に溢れた秀逸なものばかりである。その八首の最後の歌が、阿部さんの「辞世」と言われている歌である。
われ死なば火にはくぶるな「栄川」の二級に浸して土に埋めよ
なぜ阿部さんの郷里の秋田の酒ではなくて、会津の酒なのか不思議だが、そんなことはどうでも良いか。明日は阿部さんの25回目のご命日。阿部さんを偲んで一杯やるか。※昭和60(1985)年8月17日。下田旅行の途中、熱海駅にて。左より、故板垣哲雄、蜷川、花房東洋、故阿部勉の諸氏と。