二月二十三日(月)雨。
七時に起床。朝食を済ませた後に、愚妻とともに伊勢原へ。今年二度目の浄発願寺行きである。高速道路はスムースで、九時半頃に厚木のICを出た。途中、農協の販売所で仏花や野菜を購入。ここは農協の直販所だけあって野菜などがとても安い。今日も、とても美味しそうな長ネギや大根、ほうれんそうなどを購入した。
お寺に着けば、すでに社友の大熊雄次氏が到着していた。何でも一昨日、友人等と、秋田の角館にある故阿部勉さんのお墓にお参りに行ってきたとかで、お土産に「いぶりがっこ」を頂いた。そうか今年は、私が道の兄と慕った元楯の会の阿部さんの十年祭となる。秋のご命日には、私も角館に詣でようとおもう。そういえば新潮社の創始者も角館の出身ではなかったか。昨今の、この体たらくを草葉の陰で嘆いているに違いあるまい・・・。
ここのお寺は、雨の日の景色がとても良い。周りの木々に靄が漂い、まだ花々の賑わいのないモノクロの世界は、まるで墨で描かれた南画の趣がある。その小雨の中に五重塔が稟とした佇まいを見せている。ふと、山頭火の 松はみな枝垂れて南無観世音 の句が浮かんだ。
大熊さんと一緒に、野村先生のお墓に花を捧げ、今回の「週刊新潮」の虚報のケジメは必ずつけますので、どうか力を貸して下さい」と祈り、手を合わせた。新しいお花があるので二十日の月命日には、私と同じ思いを持つ人たちがお参りに来たのだろう。その後、私の両親のお墓にも詣でる。我が家は天台宗ではないが、私が死んでも、友人や門下生が、お墓参りが一度で済むと思い、ご住職に頼んで、母の亡くなった翌年に建てた。たとえ死んでも先生の傍にいられることが嬉しい。
十一時近くに、富士山の麓で「雨やどり」という自然農場を主宰している夏井辰徳さんと、彼の友人等が到着。塚越和尚を交えて歓談。一時過ぎに、お寺を後にして帰宅。夕方から、チヨット体調が悪いので病院へ。夜は、どこも出掛けずに、自宅で、最近凝っている「鳥鍋」で一杯やった。友人が北海道土産だといって、大好きな「山わさび」を届けてくれたので、冷奴の薬味と一緒に食した。旭川から札幌に転居した石澤博文君からも、先日、海の幸を沢山ご恵送頂いた。我が家は、こういった人達の善意で支えられている。これも全て野村先生のご加護である。
愈々、各マスコミの「週刊新潮」への反撃が始まった。まず朝日新聞の朝刊と東京新聞の朝刊で、「週刊新潮」のヨタ記事に関して、反論、反撃を行っている。異例のことであろう。朝日新聞などは当事者と言うこともあって、一面の全部を使って、「新潮」の記事の矛盾を追及している。「真実性なしと判断」「虚報そのまま掲載」と一刀両断である。
東京新聞の方は、野村先生と一緒に私の写真も出ているが、何と、先生より、私の方が老けているように写っている。家族に、腹を抱えて笑われた。東京さんよ、頼むよー、顔が大きいからアップで撮らないで、と頼んだのに、トホホだね。
冗談はともかく、東京新聞も大きく取り上げており、「こちら特報部」では二頁にわたり、「新潮」の記事を「書きっぱなし否めない」と、コキ下ろし、私や、犬塚先輩などのコメントを取り上げて、その安易な報道姿勢を批判している。先日、児玉先生の衣鉢を受け継ぐ、青年思想研究会の市村清彦議長とお会いした際にお聞きしたが、児玉先生に関して、市村議長も、関係者も一切、「新潮」側から取材を受けていない、とおっしゃっていた。私達も、「虚報」の検証を進めており、いずれ、ドーンと発表してみたい。また、今後も、新聞、週刊誌などが「新潮」の虚報に対する特集を行う予定であると、聞いている。私にも、夕方に、共同通信社からの取材があった。
今回の「新潮」の記事に対する印象は、まず、「新潮」を支持したり、記事を肯定する、マスコミやマスコミ人が誰一人として、いない、ということだ。私の所にも、取材、よりも情報を提供してくれるマスコミの方の何と多いことか。笑えるのは、新潮社の記者と思える人たちから、印刷される前に記事の情報が提供されることだ。もちろん匿名でPCに送られてくるのだが、「娘からの電話で、デスクが騒然となった」とか、「当初は、妻がいることも知らなかったようだ」といった、内部でしか分からないような情報が一水会や私の所にメールで入る。その情報を、そのまま信用しているわけではないが、一応「裏を取る」とほぼ間違いがない。いかに「裏を取る」ことが、大切か、素人でも分かった。
インターネットでも、今回の「週刊新潮」の特集を検索してみても、一つとして、記事を肯定したり、信じている書き込みがない。これは、ある意味で稀有なことではないか。今は、退職しているが、昭和六十年以前より、野村先生が亡くなられるまで、野村先生や我々を担当していた、元警視庁の公安S氏と連絡が着いた。今回の件を聞いてみたが、麻生発言に対する、小泉元総理の言葉が、そのまま返って来たのには大笑い。
S氏いわく「当時、一水会や統一戦線義勇軍、そして野村先生のグループには、それこそ、公安部の威信をかけて水も洩らさぬほどに、交友関係や日々の行動を監視していた。その実態は、退職したからと言って話すことは出来ないが、私達が知らない野村先生の周辺関係者などいるわけもなく、まして、野村先生に「犯行声明文」を書いてもらうほど親しい間柄の右翼関係者を見逃すことなど、天地神明に誓ってない。日本の公安警察は、そんなに甘くないですよ、蜷川さん」と、言われた。
そういえば、私が網走刑務所に在監中に、日本民族独立義勇軍(通称・民独)の事件に関して、警視庁がわざわざ、三回も来て、取調べを受けた。私の場合は、「余罪調べ」であるから、プラスチックの仕切りのある面会室ではなく、取調室であり、刑務官の立会いはなかった。もちろん関係ないので、知らないと言い続けていたら、やけに、野村先生や私達の過去の行動に詳しい。訝しく思ったら、何と、公安部は、私の事件(昭和六十二年一月十三日)から、二年間ぐらい遡って野村先生の日々の行動を記した詳細なメモを持っていた。正直言って、私は、背筋が寒くなった。この時の、「アセリ」の気持ちは、二十年が過ぎた今でも、思い出すことが出来る。まあ、あまり手の内をさらすのは良くないので、今日は、この辺で失礼します。
また、民独関係の一連の行動については、「GUN‘S ROAD」に資料の羅列がある。また、その当時の事件の解説を、せと弘幸さんのブログ『日本よ何処へ行く』の中に、せとさんが詳しく書いているので、興味のある方は、是非、読んでみて下さい。
うーん、僕はまだ、指一本で全部をまかなうレベル。苦労したんだね。切磋琢磨ですなぁ。苦衷が先にあって語を介セナィ。うーん、「若きウェルテルの悩み」という所かな。・・・
ご自愛ください。
某氏のこと相手にする価値、ありっ、と思ったんですか?新潮さん。
そりゃ、逆に特ダネですよね、他のマスコミは・・・
それも、創価学会、朝日新聞、野中広務、楽天、貴乃花親方夫婦・・・・・。
その内容も巨悪に挑んだとか、権力者の疑惑を追及したとか、大企業や
官僚の不正を暴いたとかは皆無。下らない色恋沙汰やら、噂レベルの
「楽天Xデー」やら、遺産相続問題やら、ジャーナリズムとは言えない記事
ばかり。乾坤一擲、でかでかと大見出しで「朝日新聞襲撃事件の犯人の
実名告白」ときたと思ったら、内容は素人が読んでも「嘘八百」が丸分かり。
同じ号の「オリックスに400億円でかんぽの宿の落札で負けた」という社長
の告白も、何の実績のもない不動産会社がメリルリンチに「あなたでは駄
目」と落とされただけの話し。
ちょっと裏付け取材すれば「嘘」と見抜けるのに、何もやってない。貴乃花
裁判で、「社内の体制の不備」を指摘されたけど、その通りでしょう。
早川編集長の解任だけではなく、週刊新潮そのものを廃刊して、担当デスク
や記者も実名を公表(少年犯は勝手に顔写真まで掲載する雑誌ですよね)
して、懲戒処分にすべきでしょう。開いた口がふさがりません。
蜷川先生
あまりにも馬鹿げた相手との戦いになりますが、きっちりと「オトシマエ」を
つけるのが、野村先生をはじめ、亡くなった朝日の記者さん、米国大使館の
方、そして全てのマスコミ報道に携わる人間にとって最も大切なことだと
思います。応援しています。頑張って下さい。
116事件がこの様なかたちで復活した事をあのオヤジは地下で苦笑いして見ているでしょう。