白雲去来

蜷川正大の日々是口実

宋襄の仁。

2017-04-06 11:57:01 | 日記
四月五日(水)晴れ。

良い天気だ。日中車で出かける時にクーラーをかけた。十九度から二十度、これくらいの暖かさが丁度良い。ニュースでは、釜山の日本領事館前に設置された慰安婦像への対抗措置として、一時帰国させていた長嶺大使を韓国に帰任させた。この件に関して、「何の成果も上がっていないのに時期尚早」とか「韓国になめられている」などの声が上がっている。反面、アメリカの北朝鮮に対する単独攻撃が近いうちに行われ、その時にソウルが攻撃された場合、邦人の保護や避難と言う非常事態に際して、大使が不在では困る。ということ、から急遽帰任させた。という話が、まことしやかに流れている。

トランプ大統領と習近平の米中会談、安倍総理との電話会談は、それを裏付けるものである。と。では米国の攻撃はいつか。韓国の大統領選挙の空白期間。本当かどうかは、専門家ではないので分からないが、全く可能性のないことではない。大丈夫かね日本は。

これまで、アメリカのオバマや韓国の盧武鉉、そして我が国も、なるべく北朝鮮を刺激せずに、接してきた。その結果が、北朝鮮の核の脅威が現実的なものになった。『十八史略』の中の有名な故事に「宋襄(そうじょう)の仁」というものがある。意味は、不必要な情けや哀れみをかけたために、かえって小ひどいめにあうこと。「宋の襄公の仁義」の意。中国、春秋時代に宋の襄公茲父(じほ)が楚(そ)との戦いに際して、「楚の布陣が完了しないうちに先制攻撃をかけよう」という公子目夷(もくい)の進言を、「君子は人が困っているときに苦しめてはならない」といって退け、ついに楚に敗れてしまったのを、世人が「宋襄の仁」といって笑った。すこしは歴史に学んでほしいものだ。

下の子供と、横浜駅にて待ち合わせて「そごう」にて夕食時の肴の仕入れ。カツオがあったが、まだ「シゾウ」か「ゴス」程度。それでも買って、すっ飛びで帰宅。酔狂亭で月下独酌。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清明の今日は、晴れでした。

2017-04-05 12:33:12 | 日記
四月四日(火)晴れ。

今日は、二十四節気のひとつ、清明。 万物が若返り、清々しく明るく美しい季節ということ。「清浄明潔」の略である。その清明と言えば、有名なのが杜牧の漢詩。PCで漢詩、清明と検索すると、ほとんど杜牧の詩ばかりが出てくる。

清明の時節 雨 紛々
路上の行人 魂を断たんと欲す
借問す 酒家は何処に有る
牧童 遥かに指す 杏花村

時は清明の時節というのに春雨がしとしと降りしきっている。その中を歩いていると、侘びしさに心が折れそうになる。私は尋ねる。「酒屋はどこ」牛飼いの少年は、はるか先の杏の花咲く村を指差した。

午後に、社友の池田裕之さんから連絡有り。札幌の小澤拓也さんから預かった酒を届けに行く。とのこと。午後は、野暮用があったので、夕方に待ち合わせをした。そうか池田さんは松本洋三さんとも仲良しだ。連絡したら「諾」。五時半に桜木町のぴおシティーで待ち合わせ。「すずらん」が一杯。その前のもつ焼き屋も、態度が無礼だったのでパスして、初めての焼き鳥屋「和んず」と言う店に入った。味は中々、接客も良いし、正解だったが、残念ながらボトルキープが無い。私、松本、池田の三酎士。「三岳」のロックをガンガン飲んで、お会計の時には、青ざめる、というお決まりのパターン。それでも今日は、(いつもか)松本社長におんぶに抱っこで、私の同級生のお店、「弥平」に転戦。

ヘロヘロになって帰宅。小澤さんから、頂いたのは、びっくり仰天の焼酎。池田さんからも貴重な焼酎を頂き、平身低頭、感謝感激。皆さんの友情に感謝する次第です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船で花見。

2017-04-05 11:55:25 | 日記
四月三日(月)晴れ。

お世話になっている山口申先生が勧進元となった「花見の会」が行われ出席。十時半に木場の駅で大熊雄次氏と待ち合わせて、集合場所となっている釣り船吉野家へ。参加は十七名。山口先生が自ら船を操船して隅田川へ。川べりの桜はまだ五分咲きだが、風が気持ち良い。深川あたりでいったん上陸して、宴会。土手では、深川の芸者衆がお茶屋の屋台を出してサービスしていた。

しばらくして、また出船。お台場や問題となっている豊洲市場を海側から眺めたり、浜離宮の船溜まりへ行ったりして終了。山口先生とは長いお付き合いをさせて頂いているが、こんなに操船が上手とは知らなかった。

山口先生の事務所の裏の小料理屋さんで二次会。半分ぐらいの人が、酔い、壊れかかっていた。浪人ならではの、平日の花見。八時前に帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駅弁売りが懐かしい。

2017-04-04 13:08:59 | 日記
四月二日(日)晴れ。

大行社の横浜支部の若い人たちが、戸塚の川べりで三時から花見を行うと言うので、愚妻と出かけた。場所が分からず、交番で聞けば、歩いてすぐとのこと。幸いにすぐに分かったが、生憎桜はまだ二分程度。午前中に横浜駅前で定例街宣を行ってから花見とは、運動家らしくて良いが、あっという間に陽が落ちて、寒さとの戦いとなった。二次会を固辞して、愚妻と「やまと」へ。たいした量を飲んだわけでもないのに、酔いが回り、一時間程度にて、お暇した。

「花見」の帰り、戸塚からJRで横浜に出た。相鉄線に乗り換えて西横浜から歩いて「やまと」に行こうと思ったが、酔いもあって面倒なので、タクシーで向かった。車中にふと思ったのは、横浜駅のホームに赤いチャイナドレスを着た「シュウマイ娘」がいなくなったのはいつごろだろうかと思った。その昔は、シュウマイ娘が、首から箱をぶら下げてシュウマイ弁当を売っていた。横浜駅の風物詩でもあった。まあ売店には、今でもチャイナ服を着た売り子の人がいるが、電車の窓が開かなくなってから、いわゆる駅弁売りがいなくなった。ペットボトルの普及で、「お茶売り」も姿を消した。調べていたら、クレージー剣バンドに「シュウマイ娘」という歌がある。また横浜生まれの桂歌丸師匠の奥さんは、元シュウマイ娘だったそうだ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小楼一夜春雨を聴くか。

2017-04-04 12:32:23 | 日記
四月一日(土)小雨。

雨か。雨だれを聞いていると布団から出るのがためらわれる。時計を見ると八時過ぎ、休みとあって家人は誰も二階から降りてこない。グゥとお腹が鳴ったような気がしたので、もそもそと布団から出て、キッチンに行けば、ご飯が炊けていない。そうか、昨夜、冷ご飯が一杯あるので「お粥」にしようと、言ったのを思い出した。おいしいお粥を作るのには、一時間ほどかかる。言いだしっぺなので仕方がない。最近凝っている「茅乃舎のだし」をたっぷり使って、土鍋でお粥を作った。

それまで、PCをチェック。ブログ、フェイスブック、メールをチェックしているとあっという間に一時間。タイマーが、「時間ですよ」と教えてくれる。白髪ねぎ、もやしのナムル、お粥の具は皆それぞれ。食後は、部屋の掃除。何もしなくても、埃などで部屋が汚れる。雨の日は、花粉対策の空気清浄機をつけなくても調子がいい。

霞みそうな春の雨に濡れる近所の屋根を見ていると、小楼一夜春雨を聴き、深巷明朝杏花を売る。との宋の陸游の詩の一節が浮かぶ。約四年、漢詩ばかりを夢中で読んでいたこともあって、酒で腐った頭の中にも、いくつかの詩がこびりついている。もちろんとぎれとぎれの物があったり、作者と詩が結びつかないこともままあるが、様々な景色の中に自然と詩が浮かぶ。まあこんなこともなければ、四年の月日が空しくなる。

アンズの花を売る声でも聞きに行くかと、午後は伊勢佐木町の大徳壽という焼肉屋で、ちょっと遅いランチ。食後は有隣堂で書籍浴。岐阜の細川先生に勧められた、ユーミンの嫁ぎ先の家と頭山家に関する本を探したが、見当たらなかった。事務所に寄ってから帰宅。横浜の桜はまだほんのりと色を付けた程度。

夜はおとなしく酔狂亭で独酌。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする