白雲去来

蜷川正大の日々是口実

前車の覆(くつがえ)るは後車の戒(いまし)め。

2017-04-02 09:27:55 | 日記
三月尽(金)曇り。

韓国の朴前大統領が逮捕された。いろんな意味で、凄い国だなぁー。何かを、誰かを「敵」にして、とことんやっつけていなければ気が済まない。「正義」などよりも、国民の「溜飲を下げる」、ことが優先される。マスコミも司法も、そういった感情に流されるのだから始末が悪い。例え、大統領と言えども、法を犯せば司法によって裁かれるのは、当然だが、大統領と言う立場になる人たちが、私腹を肥やすことを優先する。そういった人が大統領になると言うことが、「国の恥」である。ということが全く分かっていない。それにしても歴代の大統領自身、あるいは親族や側近が不祥事で逮捕される。近代国家で、どこにそんな国があるのか。

「漢書」の中に、「前車の覆るは後車の戒め」という故事がある。意味は、前の車のひっくり返るのを見たら、その二の舞いをしないように気をつけなさい、というもの。その時代、「前車」になぞらえたのは、漢代のすぐ前の秦の失敗である。秦は始皇帝による強権政治の無理がたたって、わずか二代で滅びた。時の漢の文帝は、よく秦の失敗に学び、政治に当たった。その結果、みごとな治績をあげ名君と称されている。唐の時代の太宗についても同じことが言える。この人が名君と称されるのも、すぐ前の隋の煬帝の失敗を反面教師として、同じ失敗を繰り返すまいぞと心に言いきかせながら政治に取り組んだからだといわれる。前人の失敗は、記憶になまなましいだけに、これにまさる教訓はない。まあ言っても無駄か。

次の選挙では、反日左派の候補者が勝利すると予測されている。北朝鮮への融和の中で、また米軍の撤退論が支持を集めそうだ。当然ながら北朝鮮の脅威がなくなれば、米軍など必要がなくなる。大変な時代に直面していると言うのに、わが国の野党はそう言った意識のカケラもない。近い将来、きっと南北揃って日本にイチャモンをつけてくるのに違いあるまい。そんな時、日本では、簡単なシュプレヒコールさえスマホを見ながらでなければ、言えない頭の悪そうな女の子にリードされた連中が、国会前で、クラブのノリで「ニツポン人は謝罪せよ」。とか言うんだろうなぁー。ああ嫌だ。

八幡和郎先生が、中国に北朝鮮の核開発に対して、圧力を期待するのは無理。それはイスラエルの核の放棄をアメリカに頼むようなもの。と言うようなことを書いていた。分かりやすくていい。

夜は、大人しく酔狂亭で、「元老院」という焼酎にて独酌。

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キュウリとナスのエピソード。

2017-04-01 18:38:00 | 日記
三月三十日(木)晴れ。

キュウリのおしんこが好きである。糠漬けでも塩もみでもいい。気が向くと、キュウリの塩漬けを作るのだが、どうも塩加減が分からず、いい塩梅に漬かるのは五回に一回程度である。先日も、北海道の友人から上等の日高昆布を頂いたので、沖縄の塩と一緒にキュウリを漬けた。食卓で食べている時に、子供たちに、キュウリは、もともと女の子が食べるものだ。と言ったら、「何で」と聞くので、「キュリー夫人を知らないのか」と答えたら、いきなり二人とも不機嫌になった。最近は、憎らしいことに、こういう高尚なギャグもウケなくなった。仕方がないので、迫り来る我が家の貧困に絡めてキューリー夫人の話をしてあげた。ホントです。

キュリー夫人は、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、一九〇三年のノーベル物理学賞、一九一一年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。一九〇九年、アンリ・ド・ロチルドからキュリー研究所を与えられた。ちなみに放射能 という用語は彼女の発案によるものである。

『大人のための偉人伝』(木原武一著・新潮選書)という本に、キュリー夫人の若き日のエピソードが書かれている。彼女はフランスのソルボンヌ大学に学んだそうだが、その学生時代、屋根裏に下宿していた彼女は凍りつくような寒さのため眠る事もできず、ありったけの服をトランクから引っ張りだし、着られるだけ着込んでベッドにもぐりこみ、それでもまだ体が暖まらないので残りの服をフトンの上に掛け、さらに椅子までのせた・・・。椅子をフトンの上にのせるとは日本で思いもつかぬところだが、このキュリー夫人の苦学の話はフランスでは誰でも子供の頃に一度は聞かされる話であるそうだ。後年夫人は、その時代のことを思い出して、「この期間が私に与えてくれた幸福は筆にもつくせぬほど大きなものでした。私はあらゆる雑用から解放され、学問に全身全霊を打ちこむことが出来ました。友達もいないまま、パリという大都会の片隅にひっそりと暮らしていたわけですが、たよりにする人も援助してくれる人もないことを悲しく思った事はただの一度もありません。ときに孤独の思いにふけることはあっても、私の日常的気分は、安らかな安息、それに完全な道徳的満足のそれでした」。

だから、キュウリを見たら、この話を思い出しなさい。とガツンと言ったら、「お父さんが酔っている時の話は、ほとんど信用が出来ない」と軽くいなされた。頭に来たから、明日は茄子を食べながら那須与一の話をしてやる。と言い終わらないうちに、自分の部屋に逃げて行った。

今日の、カツオのタタキは、はずれだった。酔狂亭に沈黙の夜が訪れた。

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『実話ドキュメント』の休刊に涙。

2017-04-01 18:21:19 | 日記
三月二十九日(水)晴れ。

長い間連載をさせて頂いた『実話ドキュメント』が、今月で休刊となった。どんな事情があったのかは分からないが、残念なことだ。この雑誌の連載のきっかけを作って頂いたのは、正気塾の故若島征四郎先生だ。平成六年に、当時六本木にあった正気塾の事務所に呼ばれ、「何か書いて見なさい」と紹介をされた。当時、若島先生は、同誌に「日本人の心」を連載していた。

最初の連載は、「網走刑務所はブルースで暮れる」。これを百回書いて、一区切りとし、「友を選ばば書を読みて」に題名変更して、「読書」に関することを中心としたエッセイを連載をさせて頂いた。最終回は、百七十六回、「貧困を読む」である。『実話ドキュメント』は年十二回の発行だから、「友を選ばば」は、実に十四年以上にわたって、私の拙い文章が紙面を汚してきたわけだ。その前の連載と合わせると、何と二十四年。私は、『実話ドキュメント』によって育てられたと言っても過言ではない。毎月、全国の民族派の運動がグラビアで紹介されていたり、獄中の人たちの便りなど、貴重な情報源であった。大手の出版社や新聞社が発行している週刊誌や月刊誌だけがオピニオン・リーダーではない。こういった雑誌が出版されない世の中に、危うさを感じるのは私だけではないだろう。それはともかく、オーナー編集長の篠田邦彦さんやスタッフの皆さんに、心から感謝申し上げる次第です。

かつて『実話ドキュメント』の連載と並行して、『実話時報』という月刊誌に、野村先生の思い出を書いた「回想は逆光の中にあり」を連載していた。残念ながらその雑誌も廃刊となってしまった。真綿で首を絞められるがごとくに、じわじわと生活が圧迫されてゆく。今更ながら、筆一本で生活することの厳しさを実感している。私が発行している『燃えよ祖国』。これだけは歯を食いしばっても続けて行きたいと思っている。

夜は、酔狂亭にて牛筋の煮物を肴に、からから辛い酒に酔う。

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