白雲去来

蜷川正大の日々是口実

寒いはずだ、霜月だもの。

2017-11-09 19:04:30 | 日記
十一月五日(日)晴れ。

朝晩めっきりと寒くなった。日曜日と言うことで、のんびりと起きて朝食。メニューは、本牧の老舗「奇珍」の焼売、銀鮭の塩麹漬け、マルちゃんのワンタンスープ。昼は、抜いて、夜は、イワタニの「やきまる」を使って焼肉。

この時期に、もう何度か石油ストーブを点けた。本当に今年は冬の訪れが早い。そう言えば十一月の古語は「霜月」であることを思い出した。調べてみたら、他に、「神楽月」「霜降月」「雪待月」などの別名がある。有名な漢詩、「楓橋夜泊」には、「月落ちて烏啼いて霜天に満つ」とあり、その昔の支那の人たちは、霜は天から降ってくるものと思っていた。いやはやロマンチックですな。今では、空から核ミサイルが降ってくるかもしれないのに。

トランプ大統領が来日。個人的に言えば、オバマの大統領の時よりずっーと良いと思っている。北朝鮮が非核化の意思を示さない限り対話に応じないというオバマ政権の「戦略的忍耐」という及び腰政策によって、どれほど北朝鮮の核開発が進んでしまったのか。日本もアメリカも民主党時代はロクなことがなかった。トランプ大統領も安倍総理と会った際に、「早く憲法九条を改正して、国軍を創設しなさい。そして日米安保を片務的なものではなく、互恵平等な条約にしましょう」と言って欲しいものだ。

そう言えば、今日食べた「牛タン」もアメリカ産だった。トランプはセブン・ポーカーが好きだ。関係ないか。


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先憂を偲ぶ会へ。

2017-11-09 18:48:23 | 日記
十一月四日(土)晴れ。

今日は、東京で青年思想研究会(議長・緒方孝名氏)が毎年行っている「先憂を偲ぶ会」が上野の中華料理店にて開催され出席。四時に、アメ横にて、群青の会の大熊雄次氏と待ち合わせた。御徒町を降りると、アメ横は行き交う人たちで混雑していた。何かを買う訳ではないのだが、商店街の雑踏が好きだ。スニーカーを見ようと思ったが、落ち着いて見ると言うことが出来そうもなく、断念した。

不忍池の周りを歩くと、昨年は、大勢の老若男女がスマホを手にして、一心不乱に歩いているのを見て、とても不気味だった。何でも「ポケモンゴー」とかいうものをやっていると大熊氏が教えてくれた。全くいい歳をして何やってんの。という感慨を持ったものだ。今日の不忍池の周りは、そんな人たちもいなく、歩きやすかったが、風が強く沢山の落ち葉がカラカラと音を立てて舞っていた。一瞬、白楽天の有名な「琵琶行」の一節、「潯陽(じんよう) 江頭(こうとう) 夜 客を送れば、楓葉(ふうよう)荻花(てきか) 秋 瑟瑟(しつしつ)たり」が浮かんだ。北海道にいた頃に、無聊にかこつけて、白楽天の詩の中で最も人口に膾炙されている唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンス、「長恨歌」や、江州司馬に左遷された作者が、落ちぶれた長安の名妓の弾く琵琶を舟中に聞いて、わが身に引比べるという内容の七言古詩「琵琶行」をノートに写してそらんじた。酒でボケた頭には、全詩を思い出せないが、それでも有名な所は忘れていない。

会場に行けば、道の大先輩たちの遺影があり、白菊を捧げた。ご遺影には、北上清五郎先生、高橋正義先生、児玉誉士夫先生、中村武彦先生、筑紫次郎先生、遠井司山先生。児玉先生は残念ながらお会いしたことはなかったが、他の先生にお会いできたのは、光栄だった。終了後に、大熊氏と犬塚博英民族革新会議議長とで一軒転戦して帰宅。

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大角打ち。

2017-11-06 14:05:55 | 日記
十一月三日(金)雨後晴れ。明治節。

起床後に玄関に国旗を掲げ、明治神宮を遥拝。確か、海軍中将で、終戦時に部下を伴い特攻出撃した宇垣纏がラバウルで詠んだ句と言うものに、「菊を見ぬ 明治節なり 大東亜」と言うものがあった。宇垣中将の陣中日記『戦藻録』は、先の大戦の貴重な記録である。

朝食後、私の機関誌『燃えよ祖国』に掲載する社友や友人の方から寄せられた「野村秋介と私」の原稿の校正。お願いしていた十二名の方の様々な思いの込められた、とても良い原稿ばかりで、読んでいて目頭が熱くなった。本当は、もっと多くの方に原稿を依頼しようかと思ったが、頁の限りもあるし、中にはお忙しい方もいると思い、十二名の方となった。

二時過ぎに、横浜の藤棚商店街で行われているお祭り「へそ祭り」に出かけた。お神輿が商店街を練り歩き、とても活気のあるお祭りなのだが、私はお神輿よりも、仲良しさんたちとの酒席が楽しみでいつも出かける。先日、「マツコデラックス」の番組に出ていた、天狗会の鈴木会長やサリー夫妻など、ほとんどが知っている人ばかり。商店街にある酒屋さんを鈴木会長が貸し切っての大「角打ち」。そのうちに、高校の同級生の純三氏や地元の顔役、ミッチー橋本氏なども合流して昼間からの大宴会となった。その中で、やはり高校の同級生で、消防団に長年にわたり貢献したK氏が、叙勲の栄を賜ったとの情報。本当なら嬉しい話だ。いずれ皆でお祝いを、と言うことになった。

その後、京急の戸部と言う駅のすぐ隣にある居酒屋で二次会。下のライブハウスで演奏をすると言う元ジャガースの沖津久幸氏がわざわざ挨拶に来てくれた。もう古稀を過ぎていると言うのに、とても若い。その後、カメ&アコちゃんたちと藤棚に戻り、一軒転戦して終了。

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私のナポリタン。

2017-11-06 10:56:08 | 日記
十一月二日(木)晴れ。

テレビや雑誌などを見ていて、そこに出てきた料理を突然食べたくなる。という経験は誰にでもあるだろう。今日、好きなブログを見ていたら、「ナポリタン」の写真がアップされていた。それを見たら、どうしてもナポリタンが食べたくなった。ジャージ姿でコンビニに行くのも恥ずかしいし、家でスパゲティーを茹でるのも面倒だし、と思案すること三分。ストックの棚を見たらスバゲティーがあったので、お湯を沸かして待つこと八分。茹で上がった。

いつの頃からスパゲティーのことをパスタなどと言うようになったのだろうか。随分前だが、レストランに入ったら、スパゲティーのオーダーを受けたコックが、注文が入ってからスパゲティーを茹でて、それを具とからめてお皿に盛ったのを見て、とても驚いた。ラーメンじゃあるまいし、注文が入ってから茹でるとは・・・。今ならこんなことは常識なのだろうが、私が若い頃は、あらかじめ茹でておいたものを、くっ付かないようにサラダ油を少し垂らして冷蔵庫にしまっておく。それを炒めたものだ。メニューは、ケチャップ味の「ナポリタン」と「ミートソース」の二種類しかなかった。もちろんパスタの専門店などなく、スパゲティーと言えば喫茶店で食べるのが普通だった。

十代の頃、ガールフレンドと喫茶店に入って、二人でナポリタンを注文した。フォークが紙ナプキンに包まれて、タバスコ、粉チーズと一緒にテーブルにセットされた。ナポリタンが出来て、私は知ったかぶりをしてタバスコを、多めにかけて食べた所、ムハッとむせて、その途端にナポリタンが口から出てしまった。その時の情けなさと恥ずかしさ。横浜の福富町にあった「ロイヤル」というお店での出来事だ。タバスコの瓶を見ると、たまにその時のことを思い出し、赤面することがある。

私流のナポリタンと言えば、赤ウインナー、玉ねぎを炒めて、ケチャップでアジをつけたものだ。当然パスタ世代の家族からは顰蹙を買っている。最近は、レパートリーが増えて、スライスマッシュルームを沢山入れたニンニク味のペペロンチーノもたまにつくる。この時だけはさすがに、オリーブオイルを使う。

神奈川県の座間市のアパートで起きた猟奇的な事件。食事時に、そのニュースが流れると、気持ちが悪いのですぐ他の局に替える。この事件をきっかけに、会ったこともない独り暮らしの男の部屋に行くなどと言う行為が、いかに危険な事かと言うことを若い人たちは知った方が良い。

午前中に病院で検査。心電図にレントゲン、最近余り体調が良くないことを話す。いつもの薬を貰って帰宅。夜はおとなしく酔狂亭で月下独酌。

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麿赤児を読む。

2017-11-03 07:39:23 | 日記
十一月一日(水)晴れ。

この歳になると、月が改まることに華やぎ感と言うものが感じられない。新しくなった月の行事や予定をカレンダーで見て、気持ちが高揚すると言うことが無くなった。考えてみれば、この歳になるまで、かなり刺激的な人生を送ってきたせいもあるのかもしれない。カレンダーも何か無機質な数字の羅列・・・。としか思えなくなってしまった。これではいかんと思い良い解決方法はないかと考えた結果、来年のカレンダーには、檜坂じゃなかった、権太坂でもない、事務所の前の蛇坂でもない、そうか欅坂46のカレンターにするかな。といってもメンバーの名前を一人も知らない。もう少し年増で家族に言い訳の出来るような・・・。吉田羊はどうだろうか。

そう言えば、先日読了した本がメチャクチャ面白かった。役者の麿赤児と言う人の自伝である。(『麿赤児自伝―憂き世穢れて候ふ』中公文庫)
である。私は、演劇の世界には全くと言って良いほど知識が無い。役者と俳優、タレントの区別もつかないが、この麿赤児という人の存在は知っていた。何と言っても、その風貌怪異は一度見たら忘れられない。当初、ハードカバーで発売された時に、その帯の解説にひかれて買おうかと思ったが、他に本を持っていたので、まあいいか。とパスしたが、なぜか心に残っていた。

その本が小さくなって、行きつけの書店の棚にあって偶然にも再会を果たした。こんなに小さくなっちゃってゴメンナ。と謝って即買った。私の本への直観はほぼ当たる。面白いのなんのって、歯医者の予約をキャンセルして、スタバでイッキに読んでしまった。そして二日後に、某社の記者氏との待ち合わせの時間より一時間半ほど早く行って、井土ヶ谷のマックで再読した。

土方巽や唐十郎や彼が立ち上げた大駱駝館などを知らなくても、絶対に面白いのだ。破天荒で波乱万丈、生き様は、一昔前の右翼浪人のようなのだ。特に、右翼の大物として知られていた三上卓先生宅を訪問し、あわよくば資金提供を受けようとする「武士は死せず、ただ消え去るのみ・テロリストM氏虚実会見記」は出色である。脚本を書いたり、演技をする、いわゆる「表現者」は、当然ながら文章も上手だ。作家になっていたとしても成功していたのではと思った次第。九百円+税、高いコーヒー一杯より満足感があること間違いない。是非ご一読を。

夜は、体調が悪く、珍しく「極ゼロ」一本のみで布団に入った。身体は正直なもので、せっかく作った「おでん」「牛丼」にもほとんど手を付けず、九時過ぎからひたすら寝た。明日は、酒が美味しく飲めますように。

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