白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『ベトナム戦記』を読了。

2018-05-19 12:14:36 | 日記
五月十二日(土)曇り。

朝食は、鮭の粕漬、とーふの味噌汁。昼は、家族で、近くの「たつ屋」でタンメンと餃子。夜は、鶏のから揚げ、海老のフリッター、トマトのサラダ。

開高健の『ベトナム戦記』(朝日文庫)を読了した。ベトナム戦争が終結したのは、昭和五十年(一九七五)の四月三十日のこと。その日、私は、渋谷で街頭活動を行っていた。ビルの電光掲示板で、戦争の終結を知った。自分は、ベトナム戦争と何の関わり合いが無かったが、自由主義陣営が、社会主義勢力に敗北したことが、ちょっとショックだった。

それから四十三年が過ぎて、『ベトナム戦記』を書いた開高健も亡くなり、ベトナム戦争の記憶も薄れつつある。「ベトコン」、「北爆」、「テト攻勢」、「10・21国際反戦デー」などの言葉は、死語になりつつある。南ベトナムの首都だったサイゴンはホーチミン市となり、日本からの観光客も多いと聞く。開高健が、このルポルタージュを書き上げたのは、昭和四十年のこと。すなわち一九六〇年代、日本でも反戦運動が盛んで、全国各地でアメリカのベトナム戦争介入に反対する運動が展開されていた。

そんな昔のことを思い出しつつ、事務所にある『開高健全集』でも読み返してみるか。ちなみに彼の記念館が茅ヶ崎の南海岸にある。

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『燃えよ祖国』の最新号が完成した。

2018-05-14 11:17:16 | 日記
五月十一日(金)晴れ。

良い天気なり。浪人生活の元気の素の一つに、朝起きて雨戸を開けると、部屋に飛び込んでくる陽射しがある。これだけで気持ちが和らぐものだから安上がりにできているものだ。これが薄曇りの日だと、朝からげんなりする。雨の方が、まだあきらめがついて良い。

気持ちの良い朝を迎えた日の朝食は、帯広のハンバーグ、ささみのフライにほうれん草の味噌汁。昼は、フクイのカレーにとろろこぶのスープ。夜は、カツオ、ブリ刺身、トマトのサラダ。

『燃えよ祖国』の最新号(239号)が完成した。わが国で最も歴史のある雑誌と言えば『中央公論』である。創刊は明治二〇年。山本夏彦さんの『誰か「戦前」を知らないか』によると、「明治三十六年ごろの『中央公論』には、近松秋江(のち小説家)ほか一人しかいない。発行部数はただの千部、うち三百部は寄贈ですからあとは推して知るべし」とあった。戦後は、「カストリ雑誌」というものがあった。娯楽雑誌の多くが粗悪で、たいてい三号で休廃刊したことから、「三合飲むとつぶれる」といわれたカストリ酒(粗悪な酒)にかけた名称である。天下の『中央公論』でさえ創刊当時は苦労していた。カストリ雑誌から脱皮はしたが、今後共、皆様のお力をお借りして鋭意、努力し三百号を目指して頑張ります。(編集後記) 皆様のご支援を伏してお願い致します。また機関誌の購読をご希望の方は、お気軽にご連絡下さい。  

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母の命日。

2018-05-11 10:47:19 | 日記
五月十日(木)雨後晴れ。

平成十三年に亡くなった母の命日なり。お仏壇の花を新しいものにしてから、甘い物が好きだった母に、和菓子を供えた。私の子供の頃は、写真と言えば、まだ一般にカメラが普及しておらず、写真館に行って撮ってもらうしかなかった。従って、子供の頃の母と一緒の写真と言うものが無い。写真館で撮ってもらうのは、いつも私だけだった。

母の晩年に、母の故郷の富山県の滑川へ家族で行ったこと、亡くなられた森洋先輩のお世話で、国技館へ相撲を見に行ったこと。それが思い出に残っている唯一の親子孝行のマネごとだ。

ノマダン明けの、最初の一杯は、糖質ゼロの缶ビール。少々寒いので、肴は豆腐チゲを作った。夕方に、歯医者に行ったので、「そごう」で、カツオを探そうかとも思ったが、また飲み過ぎても嫌なので、冷蔵庫にある物だけで一杯やった。チゲだけでは足りず、紅生姜を沢山入れた、お好み焼きを一枚焼いた。十一時前に布団に入った。

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ラマダンではなく、ノマダンだ。

2018-05-11 10:23:57 | 日記
五月九日(水)雨。

朝、子供を駅まで送って行く道中で、車のラジオから、お世話になっている国際政治学者の藤井厳喜先生が、アメリカのイラク核合意からの脱退を解説しているのを聞いた。藤井先生は、先のアメリカ大統領選挙の折に、いち早くトランプ有利を明言した、数少ない学者である。随分前の群青忌でも講演をして頂いたこともある。いずれ、勉強会でも開催して、国際情勢を学びたいと思っている。

家族が全て出払った後、のんびりと朝食。冷食のコロッケ、鮭のフライ、キャベツの千切り添え、中華スープ。昼は、私のソウルフードである「ソースチャーハン」、インスタントのワンタンスープ。夜は、牛肉炒め、お好み焼、ワンタンスープ。休肝日である。

アメリカがイランの核合意から脱退。日中韓サミット・・・。国会でもこういったことに対する各党の論戦を行って貰いたいものだ。永田町の人たちは、世間の常識とかなり乖離している。そのことを気が付かない、と言う所に日本の政治の貧困があると思う。「今そこにある危機」を気が付かずにいる。正に、国を亡ぼすものは、外患にあらず内憂にある。とはけだし名言なり。今日で二日間の禁酒が終る。イスラム教徒ではないので、ラマダンではなく、ノマダンだ。

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知っていた?道交法。

2018-05-09 14:02:13 | 日記
五月八日(火)雨。

何だ何だ、昨日までは暑くて、車にはクーラーを入れていたのに、今日は一転、冬に逆戻りだ。今度は暖房に設定した。まあ部屋は暖房を入れるまでではないが、風邪をひかないように気をつけなければ。朝食は、崎陽軒の焼売、サバの文化干し半分、小納豆、とろろこぶのスープ。昼は、塩おにぎりの小さいのと味噌握りの小。夜は、寒いので、久しぶりに、家族で「鳥鍋」を囲んだ。〆はラーメン。休肝日とした。

どうでも良い話だが、車を乗っている時、夜に信号待ちをしている時は、ライトをスモールにする。対抗車が、そのままだと、マナーの分からない奴だと、毒づく。もちろん、眩しいのではないかと言う気遣いからである。そう言うものだと思っていた。しかし、信号待ちの時にライトをスモールにするのは、道交法に違反すると言うことを知って、驚いた。

道路交通法では、夜間の道路にあるときは常にヘッドライトを含む灯火をつけなければならないと定めているそうだ。「交差点で停車している時に消灯する慣習は、かつて東京などの大都市で多くのクルマに見られたが、もとはタクシー業界から生まれたものと聞いています。昔のクルマはアイドリング状態での発電能力が低く、さまざまな機器を積んでいるタクシーはバッテリーが上がりやすかったのです。そこで、ヘッドライトをこまめに消してバッテリーの消耗を抑えていたようです。そうした慣習が一般にも広がったと考えられます」。とサイトにあった。ちなみに、ライトは、対向車が無い場合は、上向きにすることも道交法で義務付けられていると、読んだことがある。分からないものですね。

休肝日につき、睡眠薬代わり本は、藤原正彦さんの『名著講義』。

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