白雲去来

蜷川正大の日々是口実

帽子とサングラスが似合わない。

2019-05-09 12:42:54 | 日記
五月八日(水)晴れ。

六時に起床。皆が出かけて行ってからのんびりと朝食。人に会う予定もないので、「熱烈餃子」、納豆、ジャガイモの味噌汁。昼は、最近運動をしていないので、おにぎり一つ。夜は、ジンギスカン、豊橋の竹輪と小エビをたっぷりと使った「かき揚」、人参の天ぷら(この二品が家族に大うけだった)。お供は「極ゼロ」小缶三本と「三岳」を少々。川柳に「居候二杯目をそっと出し」と言うものがある。居候ではないが、家族の六つの・目の監視が厳しいからである。焼酎を新たに注ごうとすると、その六つの目がレーザービームを発して私のグラスに注がれる。向田邦子さんの父上が羨ましい。そんな訳で、最近では酔狂亭での酒量が減っています。

私は、めがねと帽子が全く似合わない。顔と頭が大きいのが第一の理由で、まあ似合わない顔に生まれているのがことの真相である。中学生の頃にテレビドラマの「夕日と拳銃」に嵌ったことがあった。檀一雄原作の「馬賊」ものである。そこで主人公の伊達麟之介や馬賊がかぶっていた狐か兎の毛の帽子が欲しくて、当時伊勢佐木町にあった帽子屋に行った。(当時、伊勢佐木町には帽子屋が何軒かあったが、今では一軒もなくなった)、お目当ての帽子に似たものがあってかぶってみて鏡を見たら、大仏様のような自分がいて、その帽子を諦めた。そしてもう馬賊にはなれないとがっかりしたものだ。まあ考えてみたって、戦後の中国に馬賊などいる訳もないのだが。

高校生の頃に、世田谷の環八沿いの「タマリバー」というドライブインでアルバイトをしていた。上野毛の駅で降りて多摩美大の先にその店はあった。駅を降りて信号を渡るとメガネ屋さんがあって、そこのウインドゥにとてもカッコイイサングラスがあって、給料が入ったら必ず買おうと決めていた。そのメガネ屋さんの前を通るたびに、まだ売れていないかと、気になったものだ。給料が入って、そのお店で、店主からそのサングラスを取って頂き、かけてみた。鏡に映った自分を見て情けなくなった。この時に初めて、サングラスがカッコいいからと言って、似合う似合わないのは別なんだと。すみませんと店主に頭を下げて店を出るのにも、かなり勇気が必要だった。

毎年暮れに、上野毛の先の二子玉の居酒屋で友誼団体の忘年会に参加する。上野毛を通るたびに、若き日の恥を思い出す。サングラスを諦めたお金で、自由が丘にあった古書店で『林芙美子全集』を買ったが、揃いと思ったら、一巻だけ別の出版社から出ている物であることを後日気が付いた。ついてないわと言いながら、自由が丘から横浜まで、自分を信じて、ハマに流れて行く十七歳でした。

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連休明けは浪人と言えども忙しかった。

2019-05-09 11:11:18 | 日記
五月七日(火)晴れ。

浪人と言えども、世間並みに十連休の恩恵にあずかった。けれども不如意続きで楽しくもあり、楽しくもなし。というのが本音である。いつもなら月初めに銀行の手当てをするのだが、うっかり連休と言うことを忘れて、慌ててATMにて入金した。朝七時、仕事や学校に行く家族と一緒に朝食。

朝食後は、眼科に行き、ドライアイの目薬を貰いに行く。簡単な検査に三十分、処方箋を貰って薬局目薬が出てくるまで三十五分。何とかならんのかね。午後から、郵便局や銀行へ。その後二時から歯医者。三時半に事務所。夕食の肴を買って自宅に戻ったのは五時過ぎ。あっという間に一日が終わる。あーあもったいない。

事務所で書棚を漁っていたら、「詩歌」「旅」「釣り」のコーナーに読売新聞文化部発行の『愛唱歌ものがたり』と言う本があった。読んだ記憶がないので、パラパラと頁をめくったら、やはり読んだことがなかった。書棚にはそういった本がかなりある。「いつか読もう」と思って買っておいたものや、原稿の資料のために買ったものだ。買ってしまうと安心してしまうのか、それとも書棚に収めてしまうと、読んだ気になってしまうのか、月日と共に忘れてしまう。だから同じ本を買ってしまい地団太を二三回踏むことがある。

五日のブログに、「『産経抄』に偶然にも、今読んでいる向田邦子さんの『父の詫び状』(文春文庫)の中の『子供たちの夜』というエッセイが引用されていた」。ということを書いた。すると古い友人のK氏からコメントが入って、「向田さんの死後から八年が過ぎた平成元年に発売されたのが『向田邦子の手料理』(講談社)という写真付きの料理と料理に関するエピソードが掲載された本。そのデザインを担当したのは、うちの家内です」。事務所で、その本を探して奥付を見たら、K氏の奥さんの名前があった。これも不思議な縁だと感心した。

その「向田さんの手料理」には、余り好みの物はなかったが、供養と思って、何品か作ってみようかと思っている。夜は、桜木町の「熱烈餃子」、豚肉とキムチ炒め、カツオのたたきを肴に酔狂亭にて独酌。お供は「三岳」。

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サリーズバーの二十周年。

2019-05-08 17:48:29 | 日記
五月六日(月)晴れ。

サリーズバーの二十周年記念のパーティーが、中華街のローズホテルにて行われる。岐阜から細川先生や、豊橋の竹田さんが参加する。パーティーが四時半からなので、三時ごろ合流しようと思ったら、正午に新横浜に着とメールが入った。幾らなんでも早すぎるし、二時に野暮用があったので、三時近くに合流した。

お二人は、何処をさすらっていたのか気になった。当日の、竹田さんのフェイスブックを転載する。「連休最終日の昨日は横浜でサリーズバーのパーティーに細川先生と参加。キャシー中島さんと踊ってきました。とても楽しかった。しかし、その前の中華街の店が最悪だった。今まで入った店でダントツ。店の中はメチャメチャ汚いし、厨房は危険を感じるほど。ゴミ屋敷でメシを食ってる感じ。きっとゴキブリの巣窟なんだろうなー。店のオヤジも口に出すのは文句と悪口ばっかり。俺らに出す紹興酒の栓をあけた途端匂い嗅いでるし、餃子の皿は濡れてるし。またえらいとこに入っちゃったと思ったけど、細川先生の確信犯でした。昨晩夢に出てきちゃったよ」

ハハハ。話題作りには良いけれど、地元の人はほとんど行かない。口直しに「安記」にて合流。紹興酒を二本飲んでからパーティー会場へ。何と五百人近い人たちで会場は一杯。知っている人がほとんどだが、私もすでに酔っていて調子が上がらない。元ゴールデン・カップスのエディ潘、ミッキー吉野、元ジャガーズの沖津久幸、中村裕介、エミージャクソン、横浜銀蠅のメンバーなどヨコハマ縁ののレジェンドの皆さんと楽しみました。しかし私は、不覚にも後半は寝てしまいました。情けない。

この日に合わせて、サリーズ・バーの二十周年を記念した写真アルバム、「Ssllys Bar 20th・anniversary」が完成した。横浜の著名な写真家森日出夫さんとデザイナーの穂積由紀夫さんの手によるものです。今や伝説となったナポレオン党とクレオパトラ党の人たちが中心で、唯一部外者?として私が写っています。サリー曰く本題は、「サリーと七人の男達」ということ。横浜限定の少々オタクな写真集で、横浜のそれも六十年代を知らない人たちにとっては、誰がサリーだか、キャシー中島さんなのか、ジュンコさん(浅野忠信さんのお母さん)なのか・・・。またナポレオン党の人たちも、地元の人でなければ、どんな人なのか、まずほとんど分からないのが、ある意味この写真集の凄い所かもしれません。写真集の中の皆さんには、本名も略歴もなく、当時からの愛称のみで登場し、横浜のある時代の風景を象徴するかのように写っています。ちなみに私は、Mabouと紹介されています。今、私のことを(マー坊)と呼ぶのはサリーしかいません。ページをめくる風の中に、過ぎし日の思い出が重なりました。

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今日の産経抄に『父の詫び状』が引用されていた。

2019-05-06 09:32:13 | 日記
五月五日(日)晴れ。

朝食後にのんびりと新聞を読んでいたら、「産経抄」に偶然にも、今読んでいる向田邦子さんの『父の詫び状』(文春文庫)の中の「子供たちの夜」というエッセイが引用されていた。この偶然が嬉しかった。その『父の詫び状』を野村先生の「幻の娘」さんにプレゼントしたことがあった。もう三十五年ほども前のことである。

私の最寄りの駅のJR保土ヶ谷駅の駅ビルの中には書店があって、うっかり電車の中で読む本を忘れた時など、その書店で読みやすい本を探して、買っている。以前、久しぶりに文庫になった向田邦子さんの『無名仮名人名簿』(文春文庫)を見つけて、懐かしさのあまり、買った。向田さんの本は好きで、単行本になったものや、飛行機事故で亡くなられた後に出版された料理本などほとんど読んでいる。

その後、事務所の書棚から、何冊か持って来て、チビリ、チビリと読んでいるが、皆、ハードカバーなのでカバンやバツクを持たない私としては、電車などの移動の時には大きすぎる。それで文庫になったものを買ったのだが、実に三十五年ぶりの再読となった。その頃、向田さんの本を良く読んでいたのは、馬車道にあった喫茶店「ウィーン」。その時々の人たちのことが、向田さんの本の中に甦る。

向田さんは昭和四年の生まれである。戦前、戦後の庶民の生活を知る上では最高の本である。テレビドラマになった向田さんの原作もほとんど見たが、今では失われつつある昭和の生活が描かれ、懐かしさに押しつぶされそうになる時がある。『無名仮名人名簿』、『父の詫び状』の中に描かれているエッセイの中で、記憶に残っているのは一割程度。だからとても新鮮な気持ちで読め、新しい発見もある。旨い酒と料理と好きな本、これがあれば無敵だ。

昼は、青森から帰宅した愚妻と久しぶりに関内苑にて焼肉の昼食。夜は、菖蒲湯に入った後に、家族で「豚肉のキムチ炒め」、キムチをたっぷり使って「キムチチゲ」の食事。私が知る限りで最高のキムチ。もちろん錦糸町の「223」というお店の物である。「極ゼロ」の小缶ビールを三本と「三岳」のロックを三杯で、眠くなった。

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新帝御即位記念の講演会へ。

2019-05-05 11:34:25 | 日記
五月四日(土)晴れ。

昨日は、少し酒を控えたせいもあったのだろうか、スカッと起きられた。こういう日の朝食は美味しい。アコウダイの粕漬、冷やっこ、生海苔と豆腐の味噌汁、錦糸町のキムチ。昼食を抜いて東京へ。

今日は、一時半から、板橋のハイライプラザと言う所で、新帝御即位記念「日本の国体を守る会」の講演会があり出席のために上京。湘南新宿ラインで池袋へ行き、乗り換えれば良いものを、大崎から埼京線に乗り換えたら、上手くつながらず十五分ほど遅れてしまった。板橋の駅で降りるのは、もう四十年ぶりぐらいだ。その昔、民族派の理論的指導者で『大右翼史』を編纂したことで知られている荒原朴水先生が、板橋に住んでおられ、近くの公園にある町内会館にて「辛亥会」という勉強会を催していた。出席者は、青年思想研究会の高橋正義先生など、錚々たる先輩ばかりで、隅っこでおとなしくしていたことを思い出す。

講演会の会場に入った時にはすでに始まっており、日本学生同盟の片瀬裕元委員長が挨拶をしている所だった。その後、指名されて挨拶をしたが、会場に着いたばかりで、頭の整理が出来ておらず、何時もながら支離滅裂なはなしになってしまった。今日の講演の講師は山本峯章先生で「皇室をめぐるる問題について」を約九〇分。とても勉強になった。特に八十を超えたご高齢にもかかわらず、数字の暗記が素晴らしく、驚嘆した。「右翼は国体の防人たれ」と。

終了後は直会に参加。九時前に帰宅。主催者の皆さんに感謝。

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